「どこまで行ったらいいんだろう。」
何度かそのように思う機会を与えられました。
生かされているうちは、きっといつも何度でも
(どこかの歌みたい)
そのような気持ちが湧き上がるのでしょう。
もう疲れたと思ったら、すでに体を横たえる
時期が近付いているのかも知れません。
「誰も自分一人では正気を見出すことはない」
いやだなって思うことや、お相手。
それがまさに自分を正気に導くセラピストなんて。
思いたくないですよね。
ところが自分がいかに修行しても一人では正気に
達することは難しく、人生上のことがらや
お相手を通して自己を癒しお相手をも
癒すことが真理のようです。
そしてどちらをも正気に導くのが出会いでしょうか。
体験の中で最も激しく心が揺れたことがあります。
建築板金の材料販売を主体事業としていたころから、
さらに事業の種類を拡大して、板金の工事まで広げました。
その先兵は自分でした。
板金材料の一番のお得意先で、皆が苦手とする
お客様がみえました。
独特の考え方のお方で営業担当にあたった社員さんも
長くその担当が持つ人はいませんでした。
そんなわけで担当は自分がさせていただきました。
何か仕事上のミスがありますと、お相手は正論で
出口のない責め方でぐいぐい相手を責めます。
それでもミスはミスですから会社をあげて謝ります。
拡大した工事の設計をし、あるガス店さんの外壁の
張替を担当しました。
工事の施工並びに発注者はその板金店さんでした。
一枚一枚厚い鉄板を壁や上裏に張っていき、
最後はペンキで仕上げる工事です。
一枚一枚の形が異なりすべて番号を振って
どの位置にどの鉄板を施工するのかを
立会いをしながら二日間工事に携わりました。
二日目のことでした。工事は終盤にかかっていました。
ガス店さんの上裏を上を向いてその板金店さんが施工中に
いきなり傍らにいた自分に「げんのう」(かなずち)が飛んできました。
何か喚いて、怒られて投げたものなのでしょう。
だがおそらく本当に充てるつもりではなく、張る番号の
鉄板が違っているとおっしゃったようです。
さすがの自分ももう代金なんかいらないから
お取引をやめようと一旦頭に血が上りました。
普段はヘラヘラとたいていのことはすべて
赦すことができていた、自分への最大の試練でした。
でもすぐ思いました。「いたらない自分を鍛えてくれる方」
「そんな役割をしてくださる方。」
「みんなに嫌われて寂しい方」・・・
結局その場は耐えることができて素直に
謝りました。
そして工事は無事完成し、お施主様も板金店様も
きれいに生まれ変わった店舗を喜ばれました。
そのような事件から数年後のある日、彼からある相談が
あったのです。
「あのね喉頭がんなんだわ」
「それで手術をして切って放射線治療を
するんだけど、あんた何か最近いろんなこと
やっているので、いいものないだろうか。?」
その頃情報通信事業が未来への指針と考えて、
さまざまな商品を手掛けていましたのでそのような
質問があったのでしょう。
すぐにある一つの物をお見舞いとして進呈差し上げました。
手術が済んで、放射線治療に入り数日が経ち
来店されました。
「このあいだもらったあれ凄いは。!
病室の人にも勧めたので、欲しいんだけど。」
聴けば、手術後は痛いんだけど、放射線をかけても
まったく髪の毛が抜けずからだもだるくもないと言います。
同室の方が不思議がって質問されたので、得意になって
勧め、退院まじかには病院中の人気者になったとか。
そして元気に回復されました。
生まれ変わったその方は、来社されるときの今までのような
厳しく人を寄せ付けない雰囲気から、笑顔にあふれた
別人のようなお方に変身されていました。
そして担当も他の社員さんに代わっていただきました。
今度は長く続きました。
それから10数年後お別れの時が来ます。
葬儀の日会場で、記帳する瞬間彼が来ました。
下を向いている自らの目からあふれる涙。
長い間自分を鍛えてくださったことへの感謝が溢れました。
葬儀中もずっと涙がとまらず私たち二人の癒しと赦しは
まったきものになりました。
肉体を送る玄関で奥様が寄って来てくださいました。
「あの人 ほんとうにお世話になりました。
最後のほうは人が変わったようにやさしくなって
なんでも赦していました。・・・」
こちらこそが最も赦された者となった日でした。
「赦しのみが赦そうとしない思いをいやし、
赦そうとしない思いのみが
何らかの形で病気を引き起こすことができる」