毎日の生活の中で、自分がいままで犯してきたさまざまな行為を、その対象者に詫びながら生かされています。あの時こうすればよかったと、今は反省ばかりが頭に浮かびます。なんてできなかったんだろう。そんな反省ばかりです。
さまざまなことを学んで夢を実現し幸せになっても、無になって「それ」を知っても、それから結局どんな風に生きるのかをいつも問いかけることになります。自分にです。
結局はどんな状況にあってもそのときの「今」に感謝するしかないのに、人間は変化するものを求めて夢見る動物です。まずは不変を知ることが先なのですが。たいていは、その不変を知らずに肉を脱いでいきます。何を知って達しようと、マザーのように奇跡を行い「聖人」になろうと、いつだって「今」にしか過ぎないのです。
あの神戸の地震の日から途絶えていた黙想を始めることになりました。アルコールを控えるようにとの機会を与えられましたので。今一度の「自覚」が今生の意味を教えるのでしょうか。自分しかいない無限宇宙を漂いながらも、どこまで行っても「今」ですが。目前に現れる「今」をただ感謝するしかないです。