再録 「ノーベル賞制定とヴァレンベリ家」奥の院通信から R3 11/27

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今から126年前の1895年の今日、11月27日、ノーベル賞が制定された。スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルは自ら発明したダイナマイトで財をなし、その遺産を物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の各分野で、多大な成果を挙げ、世に貢献した者に授与するようにと、この日その旨を記した遺言状に署名したのであった。

 その後、このノーベルの遺言に基づき、ノーベル賞を授与するために、5年後の1900年6月にノーベル財団が設立された。この日彼の残した遺産がこの財団に寄付され、その遺産を基にノーベル財団が設立されたのであった。

 1901年、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンがX線の発見で、第一回物理学賞を受賞した。続いて化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞の各分野で、賞が授与されるが、経済学賞はその後に、スウェーデン国立銀行設立300年を記念して、ノーベル財団に働きかけて設立された賞で、厳密な意味ではノーベル賞ではないとも言える。

 ノーベル賞を授与するノーベル財団は、スウェーデンのヴァレンベリ家が実質運用しているが、このヴァレンベリ家はスウェーデン最大の金融財閥であり、ノーベル財団の理事の多くを輩出している。この一族はスウェーデンのGDPの3分の1を支配していると言われる。

 一族で外交官のラオル・ヴァレンベリは第二次世界大戦中、ハンガリーで数千人のユダヤ人をホロコーストから救ったと言われている。外交官の立場を最大限利用し、10万人のユダヤ人を救出したとも言われている。
 しかし、大戦末期ドイツ軍が撤退したあと入ってきたソ連軍に拉致され、行方不明となっており、彼の捜索は今も続けられている。因みに彼の曽祖父グスタフ・ヴァレンベリはスウェーデンの初代駐日大使として来日している。

 ヴァレンベリ家は奥の院・ディープステートの一員であり、彼らが捜索しても探し出せないのであるから、既に死去しているものと思われる。ソ連軍が進駐してきて、混乱している中で死去したのであろう。1957年、当時のソ連の外務次官グロムイコは、ラオル・ヴァレンベリがソ連国家安全委員会の刑務所で、心筋梗塞のため死亡したと、当時のスウェーデン大使に公式に通知したが、この時いかなる証拠も示されなかった。

 その後1979年にはイスラエルでラオル・ヴァレンベリの顕彰碑が作られ、1986年にはイスラエルでは初めての名誉国民に選ばれた。アメリカ合衆国では1981年に名誉市民権が授与された。また、1
996年には、イスラエル政府は、ユダヤ人救済の功績を称え、ヤド・ヴァシェムを贈り、「諸国民の中の正議の人」とした。
 奥の院・ディープステートとしては、その一員であるヴァレンベリ家に対し、それなりの気を使い、最大の待遇をして、その功に報いている。

 ソ連国家は奥の院・ディープステートが造った国であり、ヴァレンベリ家も奥の院・ディープステートの重要構成員であるから、ラオル・ヴァレンベリの死去は、先の大戦末期の混乱の中で発生した悲劇であることは間違いなさそうである。

 いずれにしても、ノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺産で授与されるが、その授与をしているノーベル財団は、スウェーデンの金融財閥ヴァレンベリ家(奥の院・ディープステートの一員)が実質運用しているのである。誰に賞を授与するかはここで決定される。