森 信三 運命をひらく 365の金言 44 「人間のお目出たさとするどさ」

人間のお目出たさとするどさ

 そもそも私達が、一つの徳目を真に徹底的に履み行わんがためには、結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。たとえば人が傲慢に振舞うということは、畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、したがってそれは、一見いかにもえらそうにしていながら、実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。同時にまた卑屈いということは、一面からは、その人間のずるさの鉦鼓とも言えましょう。何となれば、人間は卑屈の裏には、必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。

 たとえば卑屈というのは、実際にはそれほど尊敬もしていない相手に対して、功利打算の念から、いかにも尊敬しているかのごとく振舞うことだからであります。これ人間のずるさでなくして何でしょう。

 かくして傲慢は、外見上いかにも偉そうなにもかかわらず、実は人間がお目出たい証拠であり、また卑屈とは、その外見のしおらしさにもかかわらず、実は人間のずるさの現われと言ってもよいでしょう。