1978年(昭和53年)名古屋の中川区の地で
第二創業となりました。
厳しい時代ですが、徐々にお客様も増え、
バブル期を迎えます。
安物競争はしない。
価格が値打ちならそちらで購入をお願いする。
他社がしない製品を開発する。
T社長の教えです。
発生が同じですから、同じような企業の方針となります。
ただ一つ「物はなるべく高く買う」
このことは将来学ぶことになるはがき道の坂田先生の教えです。
バブル崩壊が確実となり、二年後の時期を迎えても
まだ業界の活況は続いています。
お客様がお店にお見えになっても、接客が30分間も
できないほど電話がなりやみません。
そんな日の朝ですが、少し心に余裕があった日。
何気なく外を見ていました。
まだ路上の駐車が許されていて、一台の日産車の
シーマが停まっていました。
そのころ羨望の的だった車です。
夜を通して毎日同じ場所に停まっていたようです。
その車にお若い方が近づきドアを開けようとしていました。
一件おいてお隣の木造のアパートから出てきた若者。
その若者を見てふと・・・こう思ったのです。
「あの人、シーマのために生きている。」
そう思った瞬間太い大きな声で
「外に出なさい。!」と聞こえた気がしました。
「外に出る。?毎日出ているのに・・・・。」
そこへ郵便配達の方が「郵便です。!」
何気なく郵便物を開封しますと、そこに商工会議所からの
経営塾のご案内です。
「これか・・・。」と感じ、外の勉強会など興味も
なかったのですが、申込書に手が行っていました。
三か月間の間、毎週一回の講演と質疑応答。
そして会社見学と研修込みの卒業旅行。
「那古野塾」と名を打っていました。
その塾が人生を大きく変化させるとは思いもよりませんでした。
ある日の講師は本田電子工業の本田会長様。
愛知県豊橋市に本社を置く超音波応用機器メーカーです。
魚影探知機では世界一のメーカーでした。
その本田様の講義はまるで仏僧のそれと感じました。
講演終了後隣のGさんが質問します。
「先生、経営者にとって一番大切なことはなんでしょうか。?」
先生は間髪入れず答えます。
「それは与えて、与えて、与え尽くすことです。」
人生において大ショックの言葉です。
大体はギブアンドテイク、それどころか取って取って取りまくる。
テイクアンドテイクです。
この言葉の意味がわからず、その後も外での学びを
限りなく続ける原動力となりました。
ほかに印象が深かった経営者は樹研工業の松浦様でした。
定年なし、新入社員は、先着順、育てていくという経営者。
株主は配当なし、会社は社員のもの減価償却は短い方がよいなどなど。
型破りです。世界一小さなプラスティックの歯車製造技術で有名です。
その後のあるテレビ番組で参加者の質問。
「どんな人も先着順で採用されて、もしその人が
役に立たなかったらどうなさいますか、?」
松浦様。
「どんな人も必ずよいところがあります。
もしそれが見つけられなかったら経営者の責任です。
見つかるまでじっと育てます。」
これらの偉大な経営者の数々の言葉は
自分の小ささをはっきりと映し出す鏡となりました。
「与えて、与えて与え尽くすこと」
この言葉はのちに、人生で出会うすべて方々が
いかなる方であろうとも、その方に感謝し続けることと
感じさせていただきました。
与える最大は「感謝」だと。
素晴らしい研修「那古野塾」は人生の宝物となりました。