再録 ある道のり 3~二人の父親がわり 1~

住んでいた場所は、戦前の市場。

東西に走る二車線のまだ土道の道路の
南側にそこはありました。
近所の人は「マーケット」と呼んでいました。

「コ」の字のお店の続き長屋が外側と内側に並び、
外と内は互いに向き合っています。
店の一階が店舗で、その奥と二階が住居の構造。
もちろん木造です。
水道は共同水道。
おのおのの並びに一箇所ずつ。
そしてトイレも共同で全体で一箇所です。

もうほとんどどこもお店の営業はしておらず、
わずかに駄菓子屋さんが道路から向かって
一番外側に左右二件ありました。
向かって左が「つたや」さんと右側が「かどや」さん。

「つたや」さんは子供に人気ですが、
万引きが絶えないようでした。
それでも一人経営のお店のおばさんは平気です。
いつも元気がいいので、子供に好かれていました。

「かどや」さんはこぎれいなお店でご夫婦での経営。
ここは厳しく、お店に行きますとずっと見られているような
感じがしました。ここは大人に人気です。
「つたや」さんと「かどや」さんは好対照の駄菓子屋さん。
そんな厳しい「かどや」さんですが、まだ家々にテレビが
ない頃、人気の番組がある時間帯にはほとんど何も買わない
子供たちが集まります。

みんながテレビを見たいとわかっていましたので、
黙って見せてくれました。
番組が終わると、子供たちの長居をとがめるような
行動に出ます。それで子供たちは観念してちりじりに
なるのです。
そのお二人にとってどんなに悲しいかと
思うような出来事が起きました。

今なら社会問題になってきっと新聞やネットに
すぐ出るかも知れないようなことがありました。
町のお祭りの日の夕べ、道路沿いに縁台があり、
そこで水だからとすすめられたお茶碗に入ったものを
ぐいっと飲みました。
冷の日本酒でした。
フラフラになって笑われました。
飲ました人は「かどや」さんの30代の息子さん。
それからお酒に強くなったのでしょうか。
きっかけになったそのおじさん。
後に42歳の厄年で亡くなったと聞きました。
「かどや」さんのご夫婦。
どんなにつらかったことでしょう・・・。
逆縁でした。

外側の「コ」の字の道路から向かって奥正面の
左から二件目が我が家です。
その正面の内側の家が印刷屋さんです。
印刷屋さんは二件分借りていたようです。

そこにYさんという男性が働いていました。
年齢は40始めでしょうか。
Yさんはことのほか可愛がってくれました。
印刷屋さんの二階がYさんの宿舎です。
たびたび二階によばれて、カレーを作ってくれました。
カレーは彼の自慢でした。

夜は少し離れた銭湯に行きます。
一緒に行ってくれて、背中を洗ってくれました。
湯船の中で手泳ぎでずっと浮いていたYさん。
「昔、水泳の選手だったんだよ。・・」また少し自慢です。
凄い!Yさんはヒーロー。

なんだか訳ありのYさんのうわさを聞いたのは、
ずっとあとになって大きくなってからのことです。
岐阜で印刷屋さんを経営していて失敗。
身を隠すようにこの地に来ていたようでした。
当然Yさんには子供さんがいました。
きっとこちらのことをご自分の子供さんのように
思ってくれたのだと感じます。

このYさんとのご縁は18歳で後にイチローが輩出された
豊山村に家族が移住するまで続いていきます。

たくさんのYさんの優しさに触れたことは
人生の宝です。

中学3年の高校受験の時、18歳になってお別れの時。
そして事業を新しい土地で開始した30歳の時。
人生のたくさんのシーンを思い出し、
ものすごい感慨が胸を打っています。

Yさんが心にいつもいるのです。