再録 ある道のり 4~二人の父親がわり 2~

中学生3年の時、人生の第一の分岐点を迎えます。

白山神社を学区の中に持つ地区でした。
小学校の一つは新栄小学校。
その卒業生です。
隣には菊里高校がありました。
白山神社のご祭神は菊里姫。
いざなみいざなぎの夫婦仲裁をした神と古事記には
あります。
全国に3000箇所ある白山神社です。

四つの小学校の生徒が白山中学校に入ります。
そのうちの一つが「近くに行ってはならない。!」といつも
言われていた地域の小学校です。
不思議なことにこのような被差別部落のある地域には
ほとんどの場合白山神社があります。

丁度高校受験が迫り生徒が勉学に集中する時期でした。
社会科のS先生が移動になるといううわさが立ちました。
この先生は「差別はいけない。」と生徒にそれとなく
伝える、大変に生徒に人気のある先生です。

その時期に学校内で睡眠薬事件がありました。
生徒の一部の人が学校で睡眠薬を飲んだ状態で
フラフラとしていました。
恐喝、暴力なども。
普段は木造の校舎のこれまた木造枠のガラスを
遠くから石を投げて割る数を競うような人もいました。

荒れた学校として、有名でした。

生徒達の一部と共にS先生の移動反対の運動を
始めたのです。みんな懸命でした。
運動と受験勉強、大変な時期です。

しかし運動は次第に弱まっていきました。
PTAや親から説得され少しずつ生徒は離れて行きました。
その頃は高校入試に内申書が強い影響をもつ
時代でした。

ずべての人が運動から去ってなお一人で続けました。
毎日のようにその部落に行きました。
同じように部落を訪れ、子供たちと一緒に遊ぶ
大学生の人たちがいました。
名古屋大学の「社会問題研究会」の人たちです。
その人たちにいろんな歌を教えてもらいます。
「原爆の歌」「かあさんの歌」「沖縄を返せ」などなど。
このような人たちがいる学校に行きたい。
漠然とそう思いました。
そのためにはまず高校です。

高校の希望は小学校の隣の菊里高校です。
家から一番近く、交通費が要らないからです。
そしてとても私学に行くお金がないから。
公立高校は必須で、滑ったら働くと決めていました。
ギリギリのがけっぷちでした。

そんな時Yさんに顔を合わせるといつも言われました。
「まあちゃん、今やっていることは必ずあとで
きいてくるからな。・・・」
顔を見るたび、そうだもっとがんばろうと意を強くしました。
Yさんは運動のことも知っていたようでした。

ある日担任のH先生から校庭に呼び出されました。
「お前もう運動やめないと内申書に書かれるぞ。
高校行きたくないのか。」

重い決断を迫られました。
それでもきっぱりと答えました。
「それで高校に入れなくてもいいです。
このまま続けます。」

ほんとうはとても恐かった。

でもここで曲げたら一生悔やむ。
考えたことを貫こうと、強い決心でした。
「平等」という自我の強い人生と思います。

その後S先生は転任していかれました。
何も効果がなかったことに落胆しました。

高校は予想もしないままに、星が丘の方へ移動していました。

入学試験が済み、合格発表の日です。
Yさんが車に乗せていってくださいました。
校門に向かう前Yさんは言いました。
「まあちゃんいいか、受かっていても滑っていても
笑って戻ってこいよ。」

校門をくぐり発表の場所に行きました・・。

番号がありました。
飛び上がるくらい嬉しかった。
今までの人生でも一番嬉しい瞬間です。
ギリギリからの解放。

Yさんの車に駆けていきました。
もちろんニコニコ顔で。

車の中で、Yさんも笑っていました。