奥の院通信から R4 6/16 「ロシアのウクライナ侵攻」

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2014年、クリミア国民投票の結果、クリミアはロシア連邦の一員となった。2ヶ月後、ドネツクとルガンスクの二つの共和国もこの年5月に国民投票を行った。しかしこれは独立のための国民投票ではなく、「自己決定」「自治」に関する国民投票であった。もし独立に関する国民投票なら、クリミア方式と理解され、ロシアが裏で画策していると思われる。しかし、実はこの二つの共和国はこの時は独立の意図はなく、ウクライナから分離する意図もなかった。自治権を獲得して、ロシア語を公用語として使用することを保証することが目的だった。

 ロシア語をウクライナの公用語と定めた2012年の法律は、2014年2月23日廃止された。ヤヌコビッチ大統領に対するクーデターで大統領が物理的に追い出されたからである(追放)。
 ここでロシア系住民が暴動を起こし、これに対する厳しい弾圧が行われた。ロシア語使用の地域5つで、恐ろしい虐殺が発生した。この重要事項をメディアは一切報じていない。

 オデッサとマリウポリでは、住民はゲリラ戦で勝利したので、ロシア軍が裏で支援していると判断され、NATOが調査を開始した。ところが結果は否だった。では彼らの使用した武器はどこから来たのか。実はロシア語を話すウクライナ軍が、反政府勢力側に亡命し、ウクライナ軍は負け続ける。武器は反政府勢力の手にわたり、自治政府の力が強化された。

 ここでウクライナ当局は、ミンスク協定へのコミットを促すようになり、ドイツとフランスの斡旋でミンスク協定の調印となった。これが「ミンスク第一協定」(九月)である。ところが、調印直後、ポロシェンコ大統領は、ドンバス地域に対し大規模なテロ対策作戦(弾圧)を開始した。これが「ミンスク第一協定」違反である。
 
 その後、2015年2月、「ミンスク第二協定」が締結され、あくまでも「ウクライナの枠組み内での自治」が協定された。二つの共和国はあくまでもウクライナ主権内である。
 NATOの調査の結果、2月23日、24日ドンバス地域にはロシア兵はいなかったと分かった。欧州安全保障協力機構(OSCE)の観察員は、ドンバス地域にはロシア軍の如何なる痕跡もなかったことを確認している。ウクライナ軍は内部の腐敗で国民の支持を喪失した。

 ウクライナ政府は多くの兵士が逃亡したあとを埋めるのに、アゾフ大隊などの民兵に目を向けた。彼らほとんどは外国の傭兵である。ウクライナ兵の4割、102000人だった。アメリカ、イギリス、カナダ、フランスなどからで、その数は19ヶ国であった。ウクライナ政府は極右民兵組織を創設した。その中でも有名なのがアゾフ部隊である。

 3月24日、ゼレンスキーはクリミアを奪還するための法令を出し、南部に軍を配備し始めた。同時にNATOは黒海とバルト海の間で、軍事演習を行い、更にロシア国境に沿っての偵察飛行の頻度を大幅に増加させた。そこでロシアも軍事演習を実施する(11月末まで)。

2022年2月7日、フランスのマクロン大統領がロシアを訪問した。数日後ウクライナはミンスク合意実施を拒否した。プーチンは「西側社会はウクライナにミンスク協定を実施させる気はなかった」と指摘している。少なくとも、ウクライナ側が「ミンスク協定」に違反したにも拘わらず、西側社会はウクライナに圧力を掛けることはなかった。

 ウクライナが「ミンスク合意」に違反したことを、西側はよく知っているし、ウクライナはドンバス地域でドローンを使用して空中攻撃をしたことも、西側はよく知っている。しかし、ウクライナを牽制したことはなかった。

 2022年2月15日、ロシア議会が二つの共和国の独立の承認を求めたが、プーチンはこれを拒否した。
 2月17日、バイデン米大統領はロシアが数日中にウクライナを攻撃をすると発表たが、彼はどうしてこれを知ったかは謎である。
 16日のOSCEのオブザーバー日報が示すように、ここでウクライナ軍のドンバス地域住民への砲撃が急激に増加する。しかし、メディア、EU、NATOなど、西側諸国はこの事態に何の対応も介入もしなかった。のちに彼らは都合が悪くなり、「これはロシアからの偽ニュース」などという。

 EUと一部の国は、ロシアが介入を引き起こすことを知って、ドンバスの虐殺についてはわざと沈黙を守っていた。この地域に居住するロシア語を話す人たちは、虐殺に直面していた。このような状況下で、プーチンはどうするか。放置するわけに行かず、軍を派遣して保護する。

 2月21日、プーチンはロシア議会の要請を受け入れて、ドンバスの共和国の独立を承認した。ウクライナ軍は砲撃を継続する。
 2月23日、二つの共和国はロシアに軍事援助を要請する。翌日24日、ロシアは国連憲章第五一条に基づいて出兵した。ロシア・ウクライナ戦争は、ウクライナ軍が砲撃を開始した2月16日に開始されたのである。今言われている2月24日ではない。戦争開始は、ウクライナ側がドンバス地域を砲撃した2月16日である。しかしこのことは、世の中には知らされていない。メディアはわざとこの情報を隠した。

 ロシア系住民を虐殺したのは、ウクライナの正規軍ではなくて、マリウポリを守るのも傭兵だった。EUは「ミンスク協定」の実行を促したことはない。しかも、ウクライナ政府はドンバス地域で自国民を迫害していたときに、EUは何の反応もしなかった。ところが、ロシアが行動を起こしてから、急に激しくロシアを非難し始めた。EU諸国は自国民に「ロシアは侵略者だ」と言った。バイデンもロシアがジェノサイドを行っていると言った。

 2月27日、ウクライナはロシアと平和交渉をすると発表したが、その数時間後に、EUはウクライナに武器を提供する「4・5億ユーロの予算案」を承認・可決した。するとウクライナはもう交渉や協議を必要としなくなった。2014年以来、何故ドンバス地域住民が受けた迫害に対して、国際社会は如何なる反応も示していないのか。要するに、西側諸国が今回のウクライナ紛争を画策したということがよく分かる。