致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 12 「私たちには帰れる祖国がある、大地がある」

杉山 まつ ワシントン靴店 創立者

 当時、台湾は日本の植民地でしたから、たくさんの日本人が住んでいました。農産物が豊かで治安のよい台湾を、私たちはすっかり気に入って永住の地と決めて暮らしているうちに、いつの間にか十年が過ぎてしまいました。
 台湾は日本の敗戦と同時に無政府状態になって、不穏な空気は日増しに強くなるばかりでした。身の危険を感じた日本人は、ひっそりと家の中にこもり、一日も早い帰国を望んでいました。その時、蒋介石総統は、「恨みを以て恨みに報いず、それを犯したものは極刑に処す」という内容の広報を出しました。そのおかげで、無事、敗戦の翌年には、台湾に住んでいた五十八万の日本人は、日本へ送還されることになりました。

 我が家は現地招集されていた四十歳の夫が敗戦直後に復員して、十三歳の長女を頭に、次女、三歳の末娘、三十七歳の私の五人家族でしたが、その時、私は妊娠四か月でした。
 わずかな身の回りの品以外は没収され、着の身着のままで乗り込んだのは貨物船でした。芋を洗うような込みようで、壁も床も湿気があふれていました。手持ちのゴザをしいて腰を下ろしたのですが、ゴザはたちまち水気を含んで、情け容赦なく来ている服を濡らしますから、ずっと寒さに打ち震えていました。
 そのうえ、船が激しく揺れ始めたとたん、あちこちでゲエゲエ吐き始めました。手持ちのバケツは汚物入れになって、人いきれと汚物の異臭が充満して、生きた心地がしませんでした。それに、船の中には何百もの人が使うトイレなどあるはずもありませんから、バケツは各家庭用の移動トイレにもなりました。私は今も、トイレに入るたびに当時のことを思い出して、平和のありがたさを思うのです。

 だから、ついに日本に着いた時は、それはうれしかった。船酔いに苦しみながら、出航して五日目、「日本だぞ、日本だぞ!」という叫び声に、ふらふらしながら甲板に出ると、はるか水平線上に日本列島が見えました。感極まって歓声を上げる人は一人もいません。みんな涙が溢れるにまかせて、どんどん近づく島を食い入るように見つめています。
 戦いには敗れたけれど、私たちには帰れる祖国がある。大地がある。私は、ただそれだけでうれしかったんです。「ついに日本に着いたのよ。よく頑張ったわね!」といいながら、おなかをさすると、元気にあかちゃんが動いたのを、今もはっきりと覚えています。その時は、無事に祖国に帰り着いたという喜びで一杯でした。