「死はすぐそこに」 自分で自分を自分する 2/9から

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月04日の記事を紹介します。

死はすぐそこに

ここ数年、地球の波動が上がっているためか、

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方

が急激に増えているようです。

出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。

2500年前の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。2500年前、ブッダが悟りを開いた時、自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。

梵天勧請 左:梵天(ブラフマン)中:ブッダ 右:帝釈天(インドラ)

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか?死は、私たちに平等に必ずやってきます。そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。

<転載開始> 転載元 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは少し珍しいことかもしれません。多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。まるでそれがずっと続くかのように。私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。まだこの人生を終わらせたくない。私は今とても幸せだからです。でも、もう私にはコントロールすることはできません。私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

 そして覚えておいて下さい。最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。

些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。
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神の使者から奇跡の道へ その69~学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを・・・

「学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを
あなたが認識したときである」

愛ではないすべてのものを認識したとき。?

それではすべては愛であると魂の底から、
そしてそのことさえも感ずることがなくなるとき。?

見るもの、聞くものすべては愛と。

そうですよね、愛って学ぶようなものでなくて
もともと愛ですね。

ただもともとそうであると信じ切れていないので
信じ切れていないできごとがやってきますね。
だからこそ赦しはそういった真実ではないことを
取り除くための行為となりますね。

人の目的はただ創造することだけであるならば、
すべての知覚が洗い清められ、最後には永遠に
取り除かれるまできっと、愛の源を知ることは
できないのでしょう。

楽しみなので、行動します。(笑)

ほんとに楽しみ!!

待ってるよ!自我さん。

「学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを
あなたが認識したときである」

「偽物」 自分で自分を自分するから 2/7

 コロナ感染が世の中を席巻して1年以上になります。色々な知見、情報が出てきています。最近目にした記事を3つ紹介します。

 最初は「Jのあっちもこっちも」さんの2021年2月2日の記事「ひとり言 今日のニュース(4つ)」の一部抜粋です。

私は臨床検査科学者です、Covid-19は偽物です

WAKE UP AMERICA投稿者:リメリック 日付:2021年2月1日 11:40:40

www.rumormill.news

 私は臨床検査室の科学者です。私はウイルス学と免疫学の博士号を取得しています。私は臨床検査室の科学者であり、ここカリフォルニア州で収集された1500の「想定される」陽性のCovid19サンプルを テストしました 。

 私のラボ(研究所)チームと私がコッホの条件(病原微生物である証明に必要な4か条)とSEM(走査型電子顕微鏡)での観察を通じてテストを 行ったところ、1500のサンプルのいずれにもCovidウィルスは見つかり ませんでした。

 私たちが見つけたのは、1500のサンプルすべてがほとんどインフルエンザAであり、一部はインフルエンザBでしたが、Covidウィルスの単一の症例ではなく、PCRテストを使用しませんでした 。

 次に、残りのサンプルをスタンフォード大学、コーネル大学、およびカリフォルニア大学のいくつかの研究所に送信し ましたが、同じ結果が得られました。

 COVIDウィルスは存在しません。彼らはインフルエンザAとBを発見しました。
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「まだやっているのか、儀式殺人」奥の院通信 2/8から

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-470.html

まだやっているのか、儀式殺人

 最近、今回のアメリカ大統領選挙の不正に関連して、人身売買の情報が良く出る。「子供を保護した」とか「子供の売り買いをしている」と出る。

 そういえば、過去2千年間の反ユダヤ暴動のほとんどは、ユダヤ人の生血祭儀が露見したため、その結果として起きている。ユダヤ人が非ユダヤ人の子供を誘拐し、連れ去って、その子供の血を抜いて、その血をユダヤ人が飲む儀式殺人である。しかも、その子供は血液の全くなくなった状態で、死体が井戸などに捨てられる。ユダヤ人には非ユダヤ人を埋葬することが許されていないからである。

 昔はユダヤ人のこの習慣が分かっていたので、子供がいなくなったら先ずユダヤ人が疑われ、捜索が始まり、時に犠牲者が発見される。そこで大騒動になったのである。

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「2千年前に起きたことが今また」 奥の院通信 2/7

2千年前に起きたことが今また

 当時の奥の院(ユダヤ人たち)は、イエスをローマ軍に処刑させようと必死であった。この当時のパレスティナはローマの属州であった。イエスは、ユダヤ人たちの動きを全て知っていた。彼はゲッセマネの園で祈っていた。そこへ、ローマ軍兵士たちがイエスを捕らえにやって来た。

 イエスは、シオンの長老団の前に連れてこられると、次のように言った。

 「私が、毎日神殿でおまえたちといたとき、おまえたちは、私に手をかけなかった。だが、今はおまえたちの時間、おまえたちは闇の力である。」と。

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「壮絶なバトル」 奥の院通信 2/6

壮絶なバトル

 現在、奥の院支配を終わらせようとする勢力と、奥の院(ディープステート)との壮絶なバトルが行われているようである。その一方の勢力には名前がついていないので、どう書いて良いか分からない。しかし、それを決めないと話が出来ない、書けないので、取りあえず真革命勢力としておく。

 革命というと、これまでは奥の院が非ユダヤ人の王国なり、君主国なり、あるいは彼らの言う民主主義国家であれ、彼らの意に添わない国を倒すために行うことを言ってきたので、何となく違和感がある。そこで、ここでは取りあえず「真革命」ということにする。しかし、実体は今、世界を支配している奥の院に対する革命と考えれば、これは「反革命」とも言える。もっと適切な命名が出来ればすぐに変更する。

 ユダヤ人曰く、「人類にはユダヤ人と非ユダヤ人の二種類しかいない。非ユダヤ人は本当の人間ではなく、彼らはゴイム(豚・獣)である」と。そこで、彼らは地球上のあらゆる国を潰すのである。

 人間は神から選ばれたユダヤ人だけであるというのである(選民思想)。あるユダヤ人歴史家が、「人類の歴史は非ユダヤ人のユダヤ人に対する抵抗史である」といった。当にその通りで、現在その抵抗が生じているのである。しかも、今回の抵抗は、およそ2千年前のイエス・キリストが公開処刑された時以来の抵抗である。しかも、今回は世界を巻き込んでの抵抗である。

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神の使者から奇跡の道へ その70~肉体は赦すことはできない

「肉体は赦すことはできない」

そうですね。
肉体は決心できませんね。
あたりまえですが。

すべては人間の最大の能力である
自由な心で決めるんですよね。
そしてだれでもが持っている自由な心。

もし、もしですが、肉体が幻想だとしたら
どうでしょうか。?
肉体が幻だとしたら、何か不自由があるのでしょうか。
何かに怒ったり、恐れたり、悲しんだりなんて
意味ないですよね。

ところが自分が怒っているときにはいつでも
自我の「祝福」を受けた特別な関係を作り出します。
肉体が、それだけがあなただと叫ぶ自我さんの勝利です。

全ての怒りは誰かに罪悪感(分離感)を感じ
させようとする試みのようです。

そしてすべての恐れは自我さんの知覚であって
それ以外の何ものでもないですね。
だから自我に、あんたなんかには従わないと宣言しても、
自我はあなたを殺すことは出来ませんね。

肉体はただあなたの目的に忠実に仕えるだけ。
そう、自我に従わないものを自我はころすことは出来ません。

「死の魅力が、愛の真の魅力に屈するとき、
死に対する恐れは去るだろう」

「肉体は赦すことはできない」