今、世界はさまざまに揺れているかのようです。
フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、
出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの
歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、
心がキュンとなったのは何故でしょうか。
“随想 伊路波村から49~今” の続きを読む
さまざまな情報をお届けしています。
今、世界はさまざまに揺れているかのようです。
フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、
出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの
歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、
心がキュンとなったのは何故でしょうか。
“随想 伊路波村から49~今” の続きを読む
ネオ伊路波村にある道のり他のメニューが増えました。伊路波村の中にあります。
コロナ(567) 金環とはお金の巡りのこと?
お金の巡り、現代金融経済の終焉。?
経済戦争。?
567は足すと 189
189足すと 9
9は統合。
ウイルスは発端にすぎず、
統合の意思がどこかに働いているような感じがします。
あわてないように。
中庸が大切でしょうか。
ただのつぶやきですが。
大正二年(1913年)3月4日、ウッドロウ ウイルソンが
第28代アメリカ大統領に就任しました。
その時ウイルソン大統領は後悔の言葉を述べています。
「私は一番不幸な人間です。私はうっかりして私の国を
滅亡させてしまいました。
大きな産業国家はその国自身クレジットシステムに
よって管理されています。私たちのクレジットシステムは
一点に集結してしまいました。
従って国家の成長と私たちの
すべての活動はほんの僅かの人たちの手にあります。
私たちは文明化した世界においての支配された政治、
ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥った。
もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の
投票による政府はありません。
小さなグループの支配者によって拘束される政府になりました。」
そしてそのアメリカの手下となって今に至る日本です。
君臣すなわち臣君の世の、この国のなりたちこそ
おおみこころとおおみたからの統合となるのでしょうか。
世界の光となりますように。
この数週間の間に、たくさんの方々から
私設飲み会のお声がかかりました。
久しぶりの方、近くの方、久しく断絶していた方、
学区の方などからです。
それで短期間にたくさんのアルコールをいただいたので、
肉体(心臓)が悲鳴を上げていました。
“随想 伊路波村から50~人として生まれて” の続きを読む
ときどき話が前後することや、「ある道のり」と
重複することは承知していただいて、
この書付を残させていただこうと思います。
ご縁の人たちにお会いしたとき、たまに訊かれる。
「この道にはどんなきっかけでですか。?」
「どんなきっかけ。?」
“この道へ 1 始まり” の続きを読む
およそ一年ぶりに飲み屋さんでの集い。
学生時代の5名が(いつもですが)集いました。
70歳近くの年齢になりますと、さまざまなそれぞれの
家族や親類の方の変化が大きく、また自身の体の
状態も変化して、すこし開催の時間的な間が伸びていました。
酔うほどに話が広がって、4時間です。
四国巡礼の旅に出かける機会が多い方もみえて、
「般若心経」や「この世の真理」の話にもなりました。
仏説についてその意味は「色即是空 空即是色」につきること、
不変なる物は空で、変化するもの(無常)は色、とわかったような
言葉が酔いに任せて口をついて出てきました。
翌日再び心経の意味を調べていました。
今まで何度も学んではいたのですが、
その場その場で理解が違う感じです。
宇宙や人生の真理を知って、そのあまりの単純さに
心打たれたブッダでしたが、このことをたった一言の
人は「無明」ということばで語り、「無明」を去れと
説き続けたようです。
仏教の始まりです。
「心経」の学びから始まって、仏陀のことばの調べから
気になった言葉群を紹介させていただきます。
☆最大の名誉は倒れないことではない。
倒れるたびに起き上がることである。
☆因果によるものはすべて「無常」
このことを知るとき、人は苦しみから逃れられる。
☆眠られない人に夜は長く、疲れた人に道は遠い、
正しい教えを知らない人にその迷いは長い。
☆壮大な岩が風に動じないように、賢者は非難と賞賛に動じない。
☆地上の王座より輝かしく、世界の支配よりすばらしきものは、
解脱の最初の法悦の瞬間である。
☆愚かな人は「私には息子がいる」「私には財産がある」などと
言って、それで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。
ましてや息子や財産が自分のものであろうか。
気になるってことは、できていないことなんですね。
まずブッダの「無明をされ」を日々すこしずつでも
実践したいものと感じさせます。
そのことがあった日より以前にも、時々はそれまでの生き方を
振り返るようにはなっていた。
その日は44歳のある日だったが、年齢から来る人生への
感慨もあったのかもしれない。
39歳となったその5年前には、自宅を壊し8階だてのテナントビルも
建築した後だった。
“この道へ 2~ きっかけ” の続きを読む