森信三先生の言葉 19~悟りとか救いとか解脱などというものは・・・

 悟りとか救いとか解脱などというものは、それらの美しい言葉がコッパミジンに吹っ飛んで、現実そのものが露堂々と見えてくることではないですかね。
 先人が全身の血を流して掴んだものを、紋切型なコトバで、振りまわしている程度では、相去ることまさに千万里でしょうね。

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 男・女は人格としては平等です。しかし役目や受け持ちは違うということです。女子教育は年限が問題で、女子大というものは三年制にすべかりしと思いますね。
 戦後ジャーナリズムに乗せられて、婚期を無視する女性が増えつつありますが、その誤りが今日すでに深刻に想い知らされかけたようですね。

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 一切のイデオロギーにひっかからないで、唯ありのままに現実そのものが見えるというのが叡智で、すべてはここから始まるのです。政治も教育も固形化した公式論ではダメだということです。

再録 奇跡の道 その112~世界はどのように終わるのか

「世界はどのように終わるのか」

始まってもいないのに、真の終わりはあり得ませんね。

世界は、それが始まったときと同じく、
幻想の中で終わるのでしょうか。
ですが、その結末は慈悲という幻想のようです。
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再録 奇跡の道 その113~最後には一人ひとりが審判されるのか

「最後には一人ひとりが審判されるのか」

まさしく!その通りのようですね。

しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
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森信三先生の言葉 20~現代における菩薩行とは何か・・

 現代における菩薩行とは何かーをもっと考えなくちゃいけませんが、おそらく宗教家の中には少ないでしょうね。そして無名の一般庶民の中に人知れず菩薩行を行なっている人が多いのではないのでしょうか。近頃のわたくしには、そんなに思われてなりません。

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 愛情とはまず相手のためにどれほど忍べるかということでしょう。そしてやがてそれがかえって深い心の幸せと感じられるのでしょう。抽象的には愛情とは相手を包むことともいえましょうが、実感のない抽象論に過ぎません。

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 今日母親たる者の第一歩は、ご主人に対しての「ハイ」の返事ー。まずこの一つを徹底して続けることでしょう。これこそ無我への第一歩です。とにかく生きた「世の中の道理を噛みしめる」ことでしょうナ。

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 「これだけは絶対にしない」ということが、自己が確立する上でも最低基盤線といってよいでしょう。ですから人間としてこの最低基盤先の確保、これが大事です。