再録 奇跡の道 その119~神の平安とは何か

「神の平安とは何か」

神の平安は、まず、一つのことによって
認識されるようです。

それは、これまでのすべての体験とは
あらゆる点において全く違うと認識されますね。

「それ以前に起ったことは何一つ、心に喚起されることはない。
過去はただ消え去り、その代わりに永遠の静けさがある」
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森信三先生の言葉 26~真の叡智とは、自己を打ち越えた・・・

 真の叡智とは、自己を打ち越えた深みから射してくる光であって、私たちはこの光に照らされない限り、自分の真の姿を知り得ないのであります。そうしてかような反省知、自覚知を深めていくことによってわれわれは、万有の間における自己の真の位置を知り、そこに自らの行くべき大道を見出すことができるのであります。
 かくしてわれわれ人間が、天地宇宙の間に生まれ出た一微小存在としての人間の道は、このように、天地を背景として初めて真に明らかとなるのであり、さらには天地の大道と合するに至って、初めて真の落ち着きを得るわけであります。

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 人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となるのです。単に受け身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もありません。

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 自分が躬をもって処理し、解決したことのみが、真に自分の力となる。そしてかような事柄と事柄との間に、内面的な脈略のあることが分かり出したとき、そこに人格的統一もできるというものです。

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 死後にも、その人の精神が生きて、人々を動かすようでなければなりません。それには、生きている間、おもいきり自己に徹して生きる外ないでしょう。

                                        

2547「動物と人間の関わり」2021.12.15  自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/254720211215.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月09日の記事を紹介します。

「動物と人間の関わり」

今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。

下記の映像で6歳の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。

動物のお話は、3分20秒くらいからです。

この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)

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再録 奇跡の道 その120~癒しにおける、言葉の役割は何か

「癒しにおける、言葉の役割は何か」

厳密には、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たさない。

言葉というものは、分離した心が自らを
分離の幻想の中にとどめておくために
作り出したものだからですね。

衷心(こころ)の祈りは実際には具象的な
ものごとを求めているわけではないようです。
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森信三先生の言葉 27~人間は生まれると同時に・・・

 人間は生まれると同時に、自覚の始まるわけではない。人間が真の自覚を発するのは、人生の三分の一どころか二分の一あたりまで生きないと、できないことのようです。そしてここに、人間の根本的な有限性があるわけです。
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  焼き芋は、火が通らないとふっくらと焼けない。人間も苦労しないと「アク」が抜けません。同一のものでも、苦労して得たのではないと、その物の真の値打ちは分かりません。

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 自分の「血」と「育ち」における卑しさが自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現れているかということを、まず知らねばならぬと思うのです。
 実際に気品というものは、人間の修養上、最大の難物と言ってよいからです。それ以外の事柄は、大体生涯をかければ
必ずできるものですが、この気品という問題だけは、容易にそうとは言えないのです。

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 つまり人間というものは、教えの光に照らされなければ、たとえ幾年、否、時としては十数年の永きに交わっても、この点に対する深い自覚には至り難いものであります。けだし教えの光に照らされるということは、つまり自分の醜さが分かり出すということだからです。