奥の院通信から R4 4/30 「革命も奥の院の商売」

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今からおよそ100年強前の1913年、彼らはアメリカにFRB(連邦準備銀行・中央銀行)を作った。株主は奥の院メンバーで、アメリカ政府は1株も持っていない。FRBがアメリカ合衆国の通貨ドルを発行する。発行の仕方も手がこんでいる。

 FRBは発行したドルを先ずアメリカ合衆国連邦政府に貸し付ける。つまり、FRBにあるアメリカ合衆国連邦政府の口座に貸し付けた金額の数字を書き込む(コストは零)。FRBは、その日から利息を取る。
 彼らはその利息の財源も用意した。FRB法を成立させると同時に、彼らは連邦所得税法を成立させた。連邦政府がFRBに利息が払えるようにした。それまではアメリカ合衆国連邦には、所得税はなかった。つまり、彼ら奥の院はアメリカ国民から利子を徴収しているのである。
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2683「死者と生者の仲良し時間」2022.4.30 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月22日の記事を紹介します。

「死者と生者の仲良し時間」

このブログは、元気はつらつの方へと言うよりは、

どちらかと言えば悩みや苦しみの中で生きる人たち、

鬱々とした、生きづらさを感じながら生きる人たち向けに書いています。

昔からの読者の方もいらっしゃれば、発する波動に呼ばれていらっしゃる方も居ます。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 29 「本当の幸せはどこにあるか」

黒柳 徹子 女優

 ソントン・ワイルダーというアメリカの作家が書いた「わが町」というお芝居があります。
 主人公はエミリーという女の子ですが、彼女は自分の子どもを産んだ後、二十何歳かで死ぬんです。お姑さんたちは先に死んでいて、舞台の右と左にこの世とあちらの世界があるという終わりのほうのシーンで司会者が、「自分が一番幸せだったと思う日、たった一日だけこの世に帰らせてあげる」というんです。エミリーは十二歳の誕生日の日を選びます。
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奥の院通信から 昭和天皇の天長節を祝う「昭和の日」

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ロシア外務省は先の27日、ロシアに駐在する日本人外交官8人を追放すると発表した。これはロシアのウクライナ侵攻に抗議して、先に日本政府が、在日ロシア大使館の外交官らを国外追放すると決めた日本側への報復措置である。これで日露関係の更なる悪化は避けられない状況になってきた。

 そもそも、日本は今回のウクライナ騒動については、最初から「ロシアの侵略」であると決めつけた。「侵略」なのかどうかは分からない。ロシアとウクライナの間に紛争があり、その解決策として、ロシアが軍事侵攻したことは事実であるが、そこには原因がある筈で、一方的に「侵略」と決めつけるのはまだ早いような気がしていた。
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2782「類は友を呼ぶ」2022.4.29 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月21日の記事を紹介します。

「類は友を呼ぶ」

今日のテーマ「類は友を呼ぶ」です。

類は友を呼ぶ・・とはどういうことでしょうか?

趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい  

そんな意味ではないようです。
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読めば心が熱くなる・・ 第二弾 30 「本当の悲しみは涙が出ない」

塩見 志満子 のらねこ学かん代表

 私はそれまで長く、教師として子供たちに人権教育を行ってきました。いじめはいけない、差別はいけないと。だけど、ひとたび学校を出て家庭の主婦に戻ったとたんに対岸の火事でした。自分がその身になれないんです。「これではいけない。養護学校に通う、あの子らに本気で学ばなんだら、きっと一生後悔するだろう」と痛烈に思いましたね。教員になりたい人はいっぱいいます。だけど、この子らの将来を支える人がいない。この子らには卒業しても「おめでとう」と言ってあげられない。次に行く所がないわけですから。私はこの子らと一緒に生活できる人になろうと思いました。それで五十七歳の時、教員を辞めて、知的障害者のための通所施設「のらねこ学かん」を立ち上げる決意をしたんです。
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