熊ちゃんの笹の炭の浄化能力とケイ素と
テネモスさんのビダせっけんを合作できないか、
この数か月にわたって、さまざまな試行を
繰り返しました。
その結果、ビダせっけんのしっとりタイプと
笹の炭との融合のものが上梓されることに
なりました。
なめらかさが増し、匂いも素的になりました。
プロのかたにも実験中から何度も試していただいて、
とても満足していただけるせっけんとなっています。
みなさまのお役にたちますようにと
願っています。
さまざまな情報をお届けしています。
熊ちゃんの笹の炭の浄化能力とケイ素と
テネモスさんのビダせっけんを合作できないか、
この数か月にわたって、さまざまな試行を
繰り返しました。
その結果、ビダせっけんのしっとりタイプと
笹の炭との融合のものが上梓されることに
なりました。
なめらかさが増し、匂いも素的になりました。
プロのかたにも実験中から何度も試していただいて、
とても満足していただけるせっけんとなっています。
みなさまのお役にたちますようにと
願っています。
「神の平安とは何か」
神の平安は、まず、一つのことによって
認識されるようです。
それは、これまでのすべての体験とは
あらゆる点において全く違うと認識されますね。
「それ以前に起ったことは何一つ、心に喚起されることはない。
過去はただ消え去り、その代わりに永遠の静けさがある」
“再録 奇跡の道 その119~神の平安とは何か” の続きを読む
真の叡智とは、自己を打ち越えた深みから射してくる光であって、私たちはこの光に照らされない限り、自分の真の姿を知り得ないのであります。そうしてかような反省知、自覚知を深めていくことによってわれわれは、万有の間における自己の真の位置を知り、そこに自らの行くべき大道を見出すことができるのであります。
かくしてわれわれ人間が、天地宇宙の間に生まれ出た一微小存在としての人間の道は、このように、天地を背景として初めて真に明らかとなるのであり、さらには天地の大道と合するに至って、初めて真の落ち着きを得るわけであります。
〇
人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となるのです。単に受け身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もありません。
〇
自分が躬をもって処理し、解決したことのみが、真に自分の力となる。そしてかような事柄と事柄との間に、内面的な脈略のあることが分かり出したとき、そこに人格的統一もできるというものです。
〇
死後にも、その人の精神が生きて、人々を動かすようでなければなりません。それには、生きている間、おもいきり自己に徹して生きる外ないでしょう。
https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/254720211215.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月09日の記事を紹介します。
「動物と人間の関わり」
今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。
下記の映像で6歳の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。
動物のお話は、3分20秒くらいからです。
この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)
「癒しにおける、言葉の役割は何か」
厳密には、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たさない。
言葉というものは、分離した心が自らを
分離の幻想の中にとどめておくために
作り出したものだからですね。
衷心(こころ)の祈りは実際には具象的な
ものごとを求めているわけではないようです。
“再録 奇跡の道 その120~癒しにおける、言葉の役割は何か” の続きを読む