いり塩でも大丈夫

焼き塩水について、以前から炒り塩でもいいと
お聞きしていました。

エタノールを購入したり、塩につけて燃やしたりする
手間が省けるので実際にどうか実験です。

ちゃんと入り塩の水溶液はペーハー8.9の強アルカリと
なりました。焼き塩水と同じです。

焼き塩水はほぼ無料でできる、エネルギー吸引の方法です。
もっと多用してもいいかもと感じさせます。

ちょっと飲み過ぎで胃が泣いているとき、
焼き塩水を飲みますと、ほぼ瞬間でとても楽になります。

ボールの水に野菜をつけて15分ほどで野菜が
イキイキします。

ある道のり~いのちの実相10 生気への道 1~

娘がイメージした場所へ落ちていきました。
「ああ今度はダメかも・・・」

あの堅い屋根に7階から落ちて無事なはずがない。
それでも、あまりの激しいできごとにも心は冷静でした。

もしかしてと、予見する心があったのかも知れません。
とにかく救わなくてはと、救急車が到着と同時に
9時すぎの時間なので、もういなくなった3階のテナントさんに
連絡を取り、入室を許可いただいて、2階の突き出た4分の一円の
コンクリート屋根に横たわる娘を地上へと降ろしていただくのを
ぼんやりと見ていました。

出血はしていたようですが、頭ではありません。
救急車で先回と同じK病院へ。
そして緊急手術です。

先回の時と同じ先生が見てくださりおこられました。
「今度はダメですよ。!もう何回もやるんだから。!」と
怒り声です。

長時間の手術は終わりました。
結局頭を打っておらず、胸椎、骨盤、腰椎、左かかとの骨折で済みました。
骨折ですから背中にボルトが二本入りました。

しかしながら生命の危機が迫っていました。
手術後の危険な一日を終えて、娘はまた不死鳥のように蘇りました。
昏睡はその後数日続きます。

そして目覚めたのですが、数ヶ月の間、家族の認識ができない状態が
続いたのです。
落ちた場所は人間が横たわって、頭と足の前後がわずかに
20~30センチしかない場所です。

「あ~あ」とため息がでたのはそんな場所に落ちたら
まず間違いなく頭を打ち、即死が考えられたからです。
しかし娘はまたしてもこの世界からの離脱を赦されませんでした。
人生には何か知れぬ個人のシナリオがあってただ
そのシナリオをたどるだけかもしれない。

このふしぎな事件は、まさにそんなふうにしか考えることができないのです。
気のS先生とはこの事件で、ご縁が途切れました。

3か月のK病院での入院後、転院を勧められ将来のリハビリもできる
A病院に転院となりました。
時は9月になっていました。
精神科と整形外科の両方を治療可能なその病院が
娘の人生の中で最大の転機となる場所となったのです。

K病院の入院中も、前回と同じように精神薬は一ヶ月の効果がある
強い注射だけでした。

そんなことも関係ないほど、口からは狂ったような言葉、
そして家族の認識がまったくありません。

ところがこの入院中多剤処方でなく、単一のただ
精神をしびれさせるのみの薬だったことが、その後の
快復の大きな助けとなることには、まだ気づきません。

そして今回のこのA病院で主治医になっていただいたH先生が救世主となるのです。
さらにまだ自分の認識すらない状態のときからずっと整形の
リハビリを担当していただいた女性のC先生との出会いも救いとなりました。
毎日毎日病院に見舞いに行く日々が続きます。

早く気づくように、そして歩くことができるように。
それはほとんど祈りでもありました。
しばらくは幻聴があり、私を見てもいつも敬語です。
それは誰に対してもです。

ただ言葉は弱く、何か現実からの逃避をし、相手を突き放すかのように
敬語を使うのでした。

精神薬はここでも月に一回の強い向精神薬の注射のみです。
そしてベッドでの足のリハビリが始まりました。
12月になっていました。

やっとお父さんが分かりました。
そして同時に敬語もやんだのでした。

ある道のり~いのちの実相 9 未来の姿が~

S先生は気の達人です。
多くの難病を治した実績のある方です。
またお料理もとてもお上手で、自らつくり、患者さんに
ふるまわれました。

病院とか、薬とか、カウンセリングとかのすべてを信頼することが
できないまま、最後の癒しの方法にかけてみようと思ったのです。

娘は先生に会ったとたん、とても嬉しそうな顔をしました。
あとで聞きますと、なんだかなつかしい気がしますと言いました。

先生の助言もあって、不明なままに、薬を減らすことにしました。
慎重に行い、症状がもとに戻りそうになるとまた量を戻すことにしました。
気の治療や、心のこもった食事の成果があってか少しずつ
良くなっていきました。
また薬の量も、0を目指して急ピッチに減らしていきました。
リバウンドでしょうか。

幻聴や幻視を訴えるようになりました。
それでも必死の家族みんなでの見守りで徐々に快復していくかに
見えました。
そんな時に、同じようにS先生の治療を受けていた家内が
治療院に通う道で追突事故を起こします。

幸い相手の方や家内になにも怪我はなかったのですが、
それを機に、家内は運転ができなくなりました。
なるべく心や体を尽くして娘の快復の助けになりたいと
誰もが思っていました。

激しい日をなんどもくぐりぬけ、その年のゴールデンウイークも
なんとかみんなで過ごしました。
病変を気にかけながらも快復という希望を見て
毎日を過ごすことができました。

しかしながら3ヶ月が経過した6月のはじめに強烈な
リバウンドが来て始終だれかがそばにいなくてはならない
大変に危険な状態になってきました。
そして一週間が過ぎ、忘れられない2006年6月6日がきました。

この国には薬を絶つための施設はなく、アルコール中毒や
薬物依存症の治療施設だけはあります。
精神治療の薬を絶つ施設などあるはずもありません。
自宅で家族の力を結集して、そのような施設の役割を
していくしかありませんでした。

娘の見守りを、時間を決めて家族が分担をしていく。
そんな一週間だったのですが、その日の直前には
女性の力では止めようがないほど、飛び降り願望が強く、
息子と私とで静止し、女性軍は見守る役目でした。

その願望は波のように激しく来ます。
大きな波が来ると、少し小康状態になり眠りにおちたり、
落ち着いて少しお話できたりもします。
家族の皆がいる居間で見守りました。

幾度かの大波を息子と一緒に抑えていました。
少し小康状態になったとき娘はつぶやきました。
「お父さん、私あの二階の屋根に落ちた自分が見えるの。」と
私にいいました。
「そんなことはないよ、心配しなくていいよ。」となだめ
いつしか息子と私に挟まれて娘と一緒に眠ってしまいました。
わずかのほんのわずかの時間だったと思います。
はっと気づいた時に、となりに娘がいません。
そして居間には見守っていたはずの家族も誰一人いません。
ほんの わずかな隙間のような時間に、娘は7階のベランダの
手すりを飛び越え2階の美容院のコンクリートの上に
飛び降りたのでした。
娘の言葉通りになったのでした。

ある道のり~いのちの実相 8 事件 2~

お隣さんは驚いていたようでした。
突然に屋根に何かが落ちてきたのですから。

そのせいかこちらの「開けてください。!娘が落ちました。!」
という呼びかけにも、ドアを開けることができなかったようです。

一刻を争う・・、途方にくれて、そう思いどこか屋根に上れる場所を探しました。
3件ほどが棟続きの平屋でしたので、そのはずれに行き
ブロック塀を登ろうと思い移動しました。

その場所について塀の下を見ましたら、なんと娘がそこに
横たわっていたのです。??

落ちた屋根は瓦屋根で8階から1階の屋根に落ちたのですが、
幸い木造の屋根がクッションになり足で天井裏を蹴破っただけだったようでした。
娘は朦朧とした状態で、瓦屋根ずたいに10数メートルをよろよろと歩き
地上に飛び降りたようです。

発見して、娘に呼びかけている時にちょうど救急車が着き、
救急隊員の方が応急処置をして、N病院に搬送となりました。

1ヶ月ほどの入院をしましたが、どこも骨折はなく
かすり傷程度の怪我ですみました。

落ちた高さのことを考えますと、奇跡としか言えません。

お隣の方に謝罪し、その日のうちに天井裏と瓦屋根の復旧を
させてもらいました。長くお隣さんとはあまりご縁がなかったのですが、
この日を境に仲良くさせていただくようになりました。

「このままではだめだ!もっと関わってもっと学ぼう。」と強く決意しました。

入院中には精神科の薬はほとんどなくて、一月間効果が持続する
強い向精神薬を注射されました。

ようするに今まで服用していた膨大な量の精神薬を
自然に絶った状況になったのです。

1ヶ月の入院の後、退院となりました。
足も体もどこもなんともなくて、通常の状態で歩けます。
ただ精神はやはり落ち着かず、ただ強い薬で弛緩した状態です。
その後は精神科のみの通院が必要でした。
ただ娘は入院中だったS病院に戻ることは絶対に拒否していました。

やむを得ず、以前に通院していたKクリニックに薬のみを私がいただきに行きました。
数々の学びをし、精神を強化し、リーダーシップトレーニングで学び鍛え、
毎日のアファーメションで心を保ち、掃除などの実践行動で
揺ぎ無い心を維持していたはずだったのですが、なんともろい心でしょうか。

世に言う統合失調症は落ち着いている状態から、急変しハイテンションになり
目の前の相手にあらゆる悪言を吐き、相手に怒らざるを得ない状況を
作り出します。まさに天才的、ああいえばじょうゆうです。

そのことの連続に、周りの家族は耐えられずに入院をさせざるを得ないのです。
娘は私の中の深い深いそして膨大な無意識下の怒りさえ
吐き出すことに手を貸してくれたのです。

怒りが感情の爆発を超えて、娘に向かった後、私の心は
ズタズタで日常の聖人君主のような学びは吹っ飛んでいきました。
罪悪感と挫折感に毎回打ちひしがれました。

やってもやっても限りのない、限界のない戦いのように思われました。
とても薬では治ることもないことは承知していました。

風邪ひとつ薬で治すことはできないのですから。
自分は胃から大量の血を吐いても病院にいかず、薬の一切を
飲まないような人間です。

病気の原因はみな自分にある。その原因を変えない限りなんども
なんども同じ病気になる。それは確信でした。

でも原因を今生に認められない精神の不調をどのように
因果で理解したらいいのでしょうか。

物質ではなく、何か不可解なことがある。
まだ何かわからないことがある。
漠然とそのように思いました。
そんな時に気の達人といわれる方に会うのでした。

ある道のり~いのちの実相 7 事件1~

二度の自宅内での飛び降りも,何かを試すような感じがしていました。
幸いにも二度とも大した怪我もせずにいたのです。

ただやはりいずれも二ヶ月ほどの入院を余儀なくされました。
薬は増える一方です。
多剤処方で何がなにやらわからず、
まるで薬を食事のように服用しました。
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ある道のり~いのちの実相6 自分しかいない~

自分しかなくて また自分さえない 感覚でもなく
ただ そのことが私たちの現実感とはまったく
かけ離れた それでいて何にも変えがたいもの。
ただもう 嗚咽しかないもの。

そしてそれであればこの現実の何をもはるかに
超越し、しかも私たちの知るいかなるものとも比較することのできないもの。
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ある道のり~いのちの実相 5 実相への光~

時間の不思議や自分の生命のふしぎが目前に迫っていました。

先のセミナーでは父親に対する憎しみと母親への哀れみのふたつを
完膚なきまでに、自分の心から追い出した後に体験がありました。

父親と母親がキン斗雲(きんとんうん)に二人並んでしかも笑顔で
手を振っていました。そしてその雲は二人を乗せたまま
かなたへと消えていきました。
ああよかったと思いました。
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ある道のり~いのちの実相 4  未来が今に 過去が今に~

商工会議所主催のN塾が終了し、そのOB会が発足しました。
ある日のその会合の後、世話人のKさんと友人のIさんと共に
居酒屋にいました。そこでの会話の中で、私は世話人のKさんに
このように言いました。

「人間ってなんでしょうか。本当のことってなんでしょうか。
わからないから知りたい、学びたいと思っています。」

酔っていました。
それまでとはまったく異なり、すべてに積極的で
気が向いたことならなんでもやりたい、頼まれたことは
「はい喜んで!」に変わっていたのです。
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ある道のり~いのちの実相 3 心の学び~

娘の発病がきっかけとなり、 それまでの人生に疑問を感じた私に届いた
勉強会の誘いのままに申し込みをしました。
生き方、経営の仕方が知りたい。

どうして普通に生きていて、娘があのような病になってしまうのか。
なぜそれが私たちの娘なのか。

私は4人の子供たちに勉強を、しなさいと言ったことは一度も
ありません。また学校の通知表を持ってきた時は、成績のことには
一切触れず、通知表の後ろの先生の文章を読み、何かみんなのために
できたことや、すこしでも成長したことを大げさにほめました。
それが本音でしたから。

気がつけば、母にされたようにようにしていたのでした。
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