「癒しにおける、言葉の役割は何か」
厳密には、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たさない。
言葉というものは、分離した心が自らを
分離の幻想の中にとどめておくために
作り出したものだからですね。
衷心(こころ)の祈りは実際には具象的な
ものごとを求めているわけではないようです。
この世界のものごとを求める祈りは、
この世界の体験をもたらしますね。
衷心(こころ)の祈りがこれを求めるのなら、
それは受け取られることになるがゆえに、
与えられますね。
不可能なことを求めたり、存在しないものを
ほしいと思ったり、心ひそかに幻想をさがし求めたり
する場合も、それらのすべてが求めたものとなりますね。
神の教師は、差し出された言葉を受け入れ、受け取った
通りにそれを与えます。彼は自分の語ることの方向を
制御することはしません。
彼は耳を傾け、聞き、そして話す。
あなたに訪れる言葉について、判断を下してはならないのです。
「癒しにおける、言葉の役割は何か」