2511「執着を離れる」2021.11.9 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月03日の記事を紹介します。

「執着を離れる」

11月に入りました。この年末の過ごし方、エネルギーの方向性が、来年2022年の方向性を決めます。来年は、どのような年を過ごしたいか?

それは、この暮れ行く年の過ごし方意識の持ち方にかかっています。

私たちは、この地球に来て、何度も生と死を繰り返してきました。

時には

・性別を変え

・国を変え

・貧富の状況を変え

・健康、病弱の状態を変え

・性格を変え

生まれ変わりを繰り返してきました。

生と死の間には扉があるために、生まれる時に永遠に続く過去の記憶を一旦消してきます。

また逆に、死に際しては全ての執着を捨てない限りは、魂は次のステップへ進めません。

この執着とは、私たちが生きていくうえで

悩み苦しみの一番大きな原因となるものです。

・お金に対する執着

・物に対する執着

・今までの生活レベルに対する執着

・仕事に対する執着

・健康に対する執着

そして家族に対する執着は大変大きなものです。

死の扉を開けようとするのを引き留めます。

・愛する家族と別れたくない

・私が先に亡くなったら、この子は生きて行けるのだろうか?

ですが、たとえ家族であろうと別個の魂です。

永遠の生において、全く別の道を歩んで来ました。

また、それぞれが生まれる前に目的を計画し、神さまの許しを得て生まれてきました。

私たちが先に亡くなろうと、彼らは彼らの道を、神様とともに歩んでいきます。

彼らにも目的があり、親との死別も織り込み済みだからです。

私たちは死とともに、家族に対する、心配・執着を手放し神様にゆだねなければなりません。

縁があれば再び家族となるでしょうし、今回の生で学びが終わったなら、死を超えた後

バラバラになりそれぞれの道を歩むことでしょう。

私たちが肉体を離れる時、家族への心配・執着を捨てなければなりません。

そして最後の執着が、自分自身の肉体です。

生きている間、私たちには生存本能がありますので生に執着します。

また、死の先に何があるか分からないために恐れます。

ですが、それさえも、最後の最後手放さなければなりません。

では、今日、大晦日に当たり鈴木秀子さんの著書より、死を恐れる人のための言葉をご紹介します。少し非物質的なお話になりますので、興味のない方はスルーされてください。

鈴木秀子さんは、クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験(神さまとの直接的な邂逅)をされた方です。

臨死体験をされた有名人も沢山いらっしゃいます。

・ビートたけしさん

・ドリフの加藤茶さん

・GACKTさん

など・・

また市川海老蔵さんなどは、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、

生まれる前の記憶、つまり中間世記憶があると番組で語っています。

では、鈴木秀子さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

臨死体験をした多くの人が、「あの世は至福の喜びに満ちた世界である」と言います。

それは死んだあとのことを心配するより、今生かされている自分を大切にして、死を恐れるより素晴らしい世界に行くんだと、喜んで待ち望んでいるほうが、よほど幸せに生きられる。

不安と恐れで今、この与えれらている命を汚染するというのは無意味なことです。

<引用終了>

鈴木秀子さんの臨死体験とは以下のような感じでした。

<引用開始> 引用元 

◆光との出会い◆

それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、

交流している生きた光なのでした。

これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。

この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている。しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

あっ、これが永遠なんだと私は思いました。  

この光が生命であること、光の生命であることに、多少なりとも疑いを抱く人は、一人もいない。

この光は単に人格を備えた生命であるばかりでなく、極めて明確な個性を持っている。

死へ接近している人に対してこの生命から発散される愛と恩情は、ことばで到底説明しきれないものであり、 彼らはこの光の生命に完全に包みこまれ、保護されていると感じとり

すっかりくつろぎ、この生命の存在を受け入れる。 

彼らは、この光に抗し難い磁力を感じ、吸い寄せられるように引きつけられる。

◆「悟り」体験◆

稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざまなものがすベて、素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を果たして調和している、そうして燃えている。それは閃きに似た強烈な感動でした。

大宇宙との一体感を、頭ではなく、からだ全体で、魂の深みで悟ったような感じでした。

<引用終了>

確かに鈴木秀子さんが仰るように、この臨死体験からは、 「あの世は至福の喜びに満ちた世界である」と言えますね。そうであれば、もう死など恐れる必要はなくなります。

そして今の生活に集中することができます。

「不平」「不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」を言わない。感謝と笑顔で日々生活する。

お互いさま、お陰さまの気持ちで、周りの人々と調和して過ごす。。。など私たちが死んだ後、上記の臨死体験のような至福の世界に戻り、そして再びまた戻ってきます。

命、魂は永遠ですから、死んだら全てが無くなる・・と恐怖心を持つ必要もありません。

どうせ、行先は至福の世界ですから、私たちの永遠の生命体が、肉体をまとっている一瞬の間は、あがいたり、もがいたりするかもしれないけれど、精一杯、生を全うしたいものですね。

私たちの魂は永遠に存在するものであり、死ぬことは、魂が、元居た場所へ戻ることです。

元居た場所とは、いつも神さまを、そば近くに感じることができる至福の場所、つまり天国です。

今、いっときだけ、魂を磨き、光り輝かせるために、敢えて、自分から、苦労や、困難、悲しみ、苦しみの中に身を投じているだけです。何故なら、その中でこそ、私たちの魂は本物の輝きを手に入れることができるからです。