「ハンター・バイデン裁判の判決」 奥の院通信から R3 10/13

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10月10日、海軍法務局(ミリタリー)はハンター・バイデンに対し、死刑判決を下した。
 立証が始まり、6人の女性がZOOMを通して姿を現し証言した。その証言はハンターとそのハンドラー(調教師)が、彼女たちを逃げることが出来ない状況に追い込み、麻薬を嗅がせ、レイプし、口止めし、さもないと・・、と脅迫したというものだった。

 最初に現れた女性証人は“アシュリー”とだけ名乗った。2016年にワシントンDCで開催された社交パーティーで、両親からハンターを紹介されたときの、驚くべき出来事を語った。その出来事は彼女が15歳の時であったという。

 「私の両親はバイデンに政治献金をしていて、それでその集会に招かれたのです。この男、ハンター・バイデンは参加者の一人でした。私は両親と一緒に居て、両親のこの友達はハローと言って挨拶に来ました。私はすぐに彼にとても気持ち悪い雰囲気を感じました。
 私はソーダを取ろうとしたのですがハンターはもってきてやるよ、と言いました。私は結構ですと言ったのですが、ハンターは構わずにバーか何か何処かに行きました。戻ってきて私にドリンクを渡すと、私の指を撫でました。私は背筋に悪寒を感じました。そのドリンクを飲んではいけなかったのです。めまいがして、脚がフラフラしました。すべてがぼやけてしまいました。そして手を取られて階上に連れて行かれたのです。」

 クランドール少将と3人の裁判官は、アシュリーが恐ろしい経験を語っている間、沈黙していた。
ハンター・バイデンは裁判官の真向かいに座り、アシュリーが涙ながらに語っている間中、スクリーンから目を背けていた。

 「私の両親は何処か居なくなってしまったようでした。私の身体は無感覚となり、話し言葉は不明瞭になりました。次にはベッドの上に居ました。彼は私にのしかかり着衣を脱ぎ、そして私のものも・・。すべてはぼやけていますが、しかし、彼であることは間違いありません。それから三脚にカメラを載せ、ベッドに入ってきて私をレイプしたのです。(以下略)」

 クランドール少将は、その悪党はこの法廷にいますか?と尋ねた。彼女はまさしくハンター・バイデンを指差し、この人です、と語った。

 少将は、検察官席のラップトップに向かい、裁判官に対し、これからあなたたちはハンター・バイデンの犯罪を、グロテスクな映像を通して目撃するでしょう、と述べた。映像ではハンターとアシュリー以外の顔は不明瞭にされていた。映像は、アシュリーだと判る若い女性の上で動いている裸体のハンターを示していた。アシュリーはハンターがレイプを繰り返すたびに間隔をおいて、止めて、止めて、止めてと叫び続けていたように見えた。

「この映像はバイデンの電子機器から得たものです。アシュリーさん、この映像は貴女ですね。見るのは辛いでしょうが。」とクランドール少将。「ハイ、そうです」とつぶやき声。

 ハンターは異議を唱える。「質問していいか?この法廷は、俺がこのガールを連れ出して、ヤクを飲ませ、こんなことをしたなんて本当に信用するのかい? 彼女の両親が同行していたというのに? この映像は偽造だ、インチキだ。」

 アシュレリーは、「私が正気に戻り、両親にいま起きたことを話すと、両親は私を嘘つき、と言ったのです。やっぱり。」「両親は、そんなことは起きっこないさ。悪夢でも見たのではないのかと言いました。それからというもの、私は両親と口を利きませんでした。」と述べた。

 そのあと、5人の若い女性がZOOMに現れ、ゾッとするようなストーリーを語った。3人の裁判官たちは、ハンターが彼女たちそれぞれに襲い掛かる映像の断片を見るという、辛い経験をしたのだった。

 ハンターは、証言と映像の正当性にその都度異議を唱えたのであるが、裁判官は彼の異議に信憑性を認めることはなかったので、それは無駄に終わった。最後の女性は、ハンターとその父親が二人でレイプしたと証言した。だが、映像はハンターだけで、ジョー・バイデンは写っていなかった。

 裁判は速やかに結審した。バイデンは全ての訴因につき、有罪。そして死刑相当であると勧告したのだった。クランドール少将はそれに同意し、絞首刑を10月15日に執行する予定とした。
 昨日の通信で書いたが、このハンター・バイデンは中華人民共和国から、多額の賄賂を受け取って、その資金を昨年の大統領選挙の不正行為に使ったことが立証されているので、国家反逆罪が成立いている。

 軍当局としては、被告が誰であろうと(DSの者であろうと)「犯罪は犯罪」として粛々と摘発し、処理していることが分かる。そして、バイデン政権になっても、それが可能であることが重要で、アメリカも少しは変わってきていると感じる。これからまた大きく変わるかも知れない。