「いつぞや聞いた台詞」 奥之院通信からR3 9/5

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 「強制は良くない」という台詞はどこかで聞いた。そうだった、戦後日本で、国歌は唱うな、国旗は掲げるなということが喧しく言われた。学校の入学式や卒業式などの行事では、国旗を掲げ国歌を斉唱していた。しかし、いつの程にか国旗は掲げられず、国歌は唱われなくなった。学校では日章旗掲揚と国歌斉唱は徹底して排除されたのであった。

 最近の大人が、国歌を聞いてはじめて聞いたという人の多いのには驚いた。全国高校野球選手権大会で、国歌が流れても選手はこの歌を歌えない。いわゆる「口ぱく」だった。その他、どんな場面でも、国歌が流れても歌えない。国歌という認識すらない。
 
 こんな風潮には、当然のことではあるが、異議を唱える者も多かった。その時必ず言われる台詞が「法律がない」であった。そこで、国旗国歌に関する法律制定の必要性が叫ばれ、紆余曲折を経て、平成11年8月13日にようやく「国旗及び国歌に関する法律」が制定されたのであった。

 この年3月には広島県立世羅高等学校で、校長の石川敏浩氏が卒業式の前日自宅で自殺された。広島県高等学校教職員組合の組合員教師と部落解放同盟幹部が連日石川校長に押しかけ、「卒業式の国旗掲揚と国歌斉唱はするな」と圧力を掛けていたのであった。その圧力は尋常ではなく、実質恐喝・脅迫であった。結局石川校長は疲れ果て、卒業式前日の自殺という道を選ばれたのであった。

 もちろん、脅迫していた連中は誰一人「脅迫罪」「強要罪」などで立件されたりはしていない。何のお咎めもなかった。その他にも同様な事件が続いていた。

 そして、法律がないから国旗掲揚が出来ない、法律がないから国歌を歌えないと認識されることになり、先の「国旗及び国歌に関する法律」が制定される運びとなった。
 ところが、そうなってから学校現場で国旗が掲揚され、国歌が唱われることになったが、この時反対を叫ぶ日教組の教師は盛んに言っていたのが「強制は良くない」という台詞であった。

 そこで学校現場では、卒業式などでは会場からは見えない隠れた場所に小さな国旗を置いておく、国歌は曲だけ流れ、歌う人はいない、起立する人もいないという現象が生じた。先生も誰も起立しない。たまに勇気を持って起立する教師や生徒がいると、みんなで揶揄し生徒は村八分の虐めに遭う。

 ところで、「強制は良くない」という台詞は今こそ使われるべきである。ワクチン接種を政府や地方団体、その他あらゆる職場で強制している。強制ではないと言いながら、実質強制している。学校でも半ば強制している。しかし、今回は役所でも職場でも学校でもこの「強制は良くない」という台詞はとんと聞かれない。教師も役人も誰一人この台詞を吐かない。

 何が起きたのかさっぱり分からない。分かっているのは、メディアが盛んにワクチンを打たせるように大宣伝をしていることだけは分かる。毎日感染者何人と発表する。これまでで最高と騒ぐ。そして、どこに行ってもマスクの着用が強要される。

 あのはやり病にマスクは何の防止効果もないことは分かっている。にもかかわらず、マスクの着用が強要され、電車に乗っても5分おきか10分おきに放送で「マスク着用」をお願いされる。時にはマスクをしてないと隣の乗客から、「マスクをしろ」と注意される。その台詞はもう耳に蛸である。異常である。

 この異常現象はまだ当分続きそうであるが、その先、収まるのか、結局ワクチンが法律で強制されるのかは、まだ分からない。至る所で入り口にアルコール消毒液が置かれ、マスクの着用が強制される。もう今では、どこに行ってもマスク着用は実質強制されている。

 また、ワクチンパスポートの制度は徐々に実施される方向に動いているようである。「私はワクチン接種を受けてます」とタクシーの横に書いている。最近、ワクチンを接種している人は、遠くに旅行できるようにしよう、などという案も出されているようである。

 「隠れた強制」制度が生まれた。自由であるが自由ではない、実質強制するという陰湿な制度が出来上がった。これは一気に「隠れた独裁制」に繋がる。この今日の通信を読んだ人で、ワクチン接種を受けている人は恐らく不快な気持ちをもたれると思う。しかし、その不快な気持ちが周囲の人にワクチン接種を強制しようという気持ちに繋がるのである。ちょっと悲しい。