我が家の洗面所の目の高さにかけてある日票式人生読本。
足助の平勝寺住職からいただいたもの。
60日毎日のひめくりです。
歯を磨きながら、あるいはひげをそりながらみるとはなしにみる。
一部をご紹介させてください。
戯論を止めよ(毒矢のおしえ)
マールクシャという釈尊のお弟子があるとき、
次のような質問をしました。
「この世は永遠に続くものでしょうか、
それとも今にすっかり変わってしまうものでしょうか教えてください。」
「こういうことがわからなければ修行をやめようかと思います。」
と。 すると釈尊は、このお弟子に次のように仰せられました。
若し人が、毒矢をもって射られたとせよ。
廻りの人が急いで医者を迎えて、その矢を抜き取るようにする。
ところがその時、その矢を抜くのは
ちょっと待ってくれ、一体この矢はどこから来たのか、
この矢は誰が射たのか、矢先はどのような形をしているのかと。
そういうことがすべてわかるまでは抜くのを待って貰いたいというならば、
彼はそれらのことを知る事が出来ないうちに死んでしまうであろう。
戯れの論をして居るよりも先に、まず毒矢を抜き取ることが大切なのである。
前世がどうであったとか、死後はどうあるかを知り尽くすよりも、
今おんみ達の身に迫っている恐ろしい
毒矢を抜き取る事こそ大切なのである。
私の教える修行はその為の修行なのである。
戯れごとではないと仰せられた。