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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月17日「素直になれたら」と
2021年07月20日「神様の恩寵」の2つの記事を紹介します。
「素直になれたら」
今日のお話は、元伊勢道場長、中山靖雄三のお話をご紹介します。
障害のある弟さんを持った、お兄さんのお話です。
障害を持って生まれてくることも、全て生まれる前に、
・ある目的を立て
・その目的を達成するために計画を立て
・この世に出てから関係することになる人たちの承諾を得て
・神様にその計画を承認していただき
・生まれる瞬間の星の影響などを考慮して
生まれて来るようです。綿密な計画です。
特に障害を引き受けて生まれてくることは、魂の進化の進んだ魂にしかできません。
そして本人だけでなく、周りにも大きな波紋を投げかけます。
ですが、その波紋は、魂の輝きを増すための大きな大きな試練の波紋です。
当人たちが、天に帰った時、その大きな意味が明かされることでしょう。
では、今日のお話を始めます。
<引用開始> 引用元
修養団で三泊四日の研修を終えられた最後の日に、「帰ったら弟にごめんなさいって、お詫びをしたいと思います」と言ってくださった方がおられました。
「私の弟は耳が聞こえません。そしてしゃべることができません。
その弟と、おふくろと私と三人暮らしなんです。
親父が早く死んで、私が父親代わりで今まできました。おふくろや弟を大事にしてやらなきゃいけないってことは、いやというほどわかっていましたが、なかなかできませんでした。
今はおふくろに、『母ちゃんは弟のことが心配なんだろう?俺に安心して任せておきなさい』って言いたい気持ちがしています。
だけど、家に帰っておふくろの顔を見たら、照れくさくてとうていそんなことは言えないような気がします。ただ今日は家に帰って、弟を一回抱きしめて、言っても聞こえませんが、
今までごめんって、お詫びをしたいと思います」
そう言われたのです。
それを聞いて、「明日の朝、電話を入れるから話を聞かせてね。絶対嘘つきにならんといてね」と言って別れました。
翌日、電話を入れると、私からの電話を待っていてくださったようでした。
「先生、やれました」そうおっしゃいました。
「ただいま」と帰ったら、弟が部屋にいた。「謝ろう」と思ったのに、なんとなく体が動かない。お兄ちゃんがいない間は、鬼のいぬ間でのびのびしていた弟も、お兄ちゃんが帰って来たら、また「やられる」と思ったのでしょう。
気配を察して、弟が慌てて遊び道具を片付けて、外に遊びに出かけようとしたのだそうです。
その時、弟の後ろ姿にだったから言えたのかもしれないけど、「今までゴメンだったね」と言えたというのです。
今まで弟のせいで、自分がいじめられることもあり、心の底では悪いなと思いながらも、
やり場のない思いを幼い弟にぶつけてしまっていた。
言葉で抵抗できない、ものを言えない弟をいじめていたのだ、というのです。
それをお母さんはずっと見ていて、知ってはいても、お母さんもお兄ちゃんのつらい気持ちを思うと叱ることもできず、そんな兄を見守るしかなかったという家庭だったといいます。
弟に申し訳なかったと思っている今の気持ちを、なんとかわからせたいと思い、外へ飛び出した弟を追いかけた。すると、弟が必死に走って逃げだすのです。
「逃げんでもいいぞ」と言っても、弟には聞こえない。
いくつめかの信号でやっと襟首を捕まえたのですが、逃げようとして七転八倒します。
なんとか、今の気持ちをわからせたいと思うけど、どうにもならない。しかたがないから、襟首をぐっと引きずり寄せて、回れ右させてて、自分の体に押さえつけるように抱き寄せながら、「ごめんね、ごめんね」って、体をさすってみたのだそうです。
もがいていた弟も、いつもならボカボカってやられるのに変だな、と思ったのか、ほっと顔を上げたのだそうです。
その弟のなんとも言えない恐々とした表情を見た瞬間、あふれる涙を止めることができなかったといいます。
その流れだす涙が弟の顔にもポトリポトリと当たって、弟にも何かが伝わった。
「先生、あいつが、何をやってくれたと思う?俺の首ったまに、パッとぶら下がって、
『あ~っ』って、声にならん声を一生懸命搾(しぼ)り出そうとするんだ。
もし、ものが言えたら『にいちゃん、こんな嬉しいことはないよ、ありがとう』
と言いたいんだろうなって思ったら、もうたまらなくて、みんながいる往来で
『ごめんな、ごめんな』の繰り返しでした」とおっしゃいました。
それから一緒に家に帰って、お風呂に入って、ご飯食べて、お母さんが布団を並べて敷いてくれたそうです。いつもは必ず、布団を離して隅に持っていこうとする弟が、その日は並んだ布団にすぽっと入って、すやすやと寝ている。
「言うても聞こえんし、寝てるし、わからんと思ったけど、布団の上から『今までゴメンだったね、ゴメンだったね』って、もう一度、お詫びをさせてもらいました。
こんな思いが、いつまで続くかわからんけど、精一杯大事にしてやりたいなぁ。
そんな気持ちでいっぱいなんです」とおっしゃいました。
みなさん、いろんな条件があるでしょう。それぞれの条件の中で、今を喜びに変えながら生きていくこと。それが、世界を清めていくのです。
発達障害のピアニスト 野田あすかさんがいらっしゃいます。
22歳で発達障害とわかるまで、両親は自分たちを責め続けたそうです。
彼女が22歳の時、障害のパニックから自宅の2階から飛び降りて右足を粉砕骨折してしまいました。その後遺症のため、現在でも杖がなければ歩くことができず、日常生活では車椅子が必要です。 想像してみて下さい。 その時の彼女の心ご両親のお気持ち
話を戻します。
このお兄さん。さまざまな条件の中、素直になれなかったその方も、初めてその人本来の本性(ほんせい)に立ち戻ったのですね。
そこに気づかなかったら、勝手な思いのままの性(しょう)でいってしまいます。
しかし、どんな人も、出来事を良し悪しにせず、その条件の中で喜びに出会うご縁をいただいているのだと気がつきさえすれば、本性に立ちかえることができるのです。
本性に立ちかえると、自分の心が安らげます。
大きな祈りの中で過ごせるものを、みんな生まれながらにして持っているのです。
<引用終了>
みなさん、置かれた場所は異なります。
何の悩みも苦しみも葛藤もない環境の人も 悲しみ苦しみの中にいらっしゃる方も
そして、いろんな条件の中で、今あるもの、与えられているものを見い出し、感謝して、花を咲かせようとする人もいます。不平不満、呪いの言葉を口にする人もいます。
生きているうちに
・地獄に住む人
・天国に住む人と
分かれてしまいます。
ですが、きっと神さまは、私たちが生まれてくる時に
どんな環境の中でも喜びを見出し、みんな仲良く、感謝の心で過ごしてくるのですよ。。
そう言って、送り出してくださったのだと思います。
もうしばらくして、私たちが、再び天に戻った時、神さまの、悲しむお顔は、見たくないですね。笑顔でお会いしたいですね。
「神様の恩寵」
よく聞く言葉があります。
・願いが叶ったら、感謝する
・気持ちが落ち着いたら、感謝する
・生活に余裕ができたら、感謝する
ですが、これは、宇宙の法則とはまったく逆のことをおっしゃっています。
宇宙の法則とは与えたものが、受け取るもの
まず自分から、何かを出さなければなりません。
出したものと同質のものが、巡り巡って自分に何倍にも帰ってきますから
幸せになりたいのであれば・・
感謝の人生を送りたいのであれば・・
まず自分から他人に対し優しさや、思いやりのある言葉かけ、笑顔、感謝を、出さねばなりません。 そうやって初めて自分に返ってきます。
何かを得たら、とか素晴らしい環境になったら感謝する
そんな気持ちを元春日大社宮司の葉室 賴昭さんは、「それは、取引だ」と、排除なさっています。
それでは、今日のお話です。
自分が持っていないものに、不平不満、愚痴を言うのではなく
与えられているものに・・・何もない平凡な日々に、感謝しよう
そんなお話です。
あなたは他人や、モノ、動植物、自然、神様に感謝することはありますか?
一日に何回「ありがとう」と口になさいますか?
今日は何人の方に、笑顔を向けましたか?
そこから解放される手段を、ブッダは2,500年前に「般若心経」の中で教えてくださいました。それは「感謝の心」です。
ブッダは人間として生きていく上での全ての悩み苦しみの、共通の解決方法を、「般若心経」に残してくださいました。
「般若心経」はブッダの弟子の一人、シャーリプトラ(舎利弗=10大弟子)に、観音菩薩が教えを説くという設定で全文が構成されています。
では、小林正観さんの講演会でのお話をご紹介します。
<転載開始> 転載元
講演会が終わったところで、本にサインをする場合があります。
その時は百二十名ぐらいの講演参加者でしたが、半分の六十名ほどの人が本にサインが欲しいということで並びました。
三十人ほどのところに、「質問していいですか?」という女性が立っていました。
年齢は四十歳ぐらいでしょうか。質問の内容はこういうものでした。
実は私は看護師をしています。夫は長距離トラックの運転手で、毎晩出かけて行って、夜はいません。そして、自分は夜勤も嫌がらず引き受けてやっているので、週に二回、子供たち三人だけの夜があります。
最近のニュースを見ていると、子供たち三人をおいていく時に、何か事件や事故があるのではないか、変な人間が侵入してきたらどうしようか、火事が起きたらどうしようか・・・
そういうことばかりを考えて、夫婦二人で話し合い、どちらかが仕事を辞めた方がいいのではないかと話しています。けれども、住宅ローンを返さなければいけないという事情もあって、簡単に二人とも辞めることができません。悩んで苦しんで、いつも夫と話し合っているのですが、どうしたらいいでしょうかという質問でした。
私はこのように聞きました。
「一年に五十三週ありますね。 週に二日、子供たち三人だけの夜があるということは、
一年を通していえば百六日になりますが、子供たち三人だけの夜は百日を超えていますか?」と聞きました。
「超えています」と答えが返りました。
「では、二年だと二百日を超えますが、 二百日を超えていますか?」
「超えています」
「では、三年だと三百日を超えていますが 三百日を超えていますか?」と聞きました。
「三百日も超えていると思います」と答えが返ってきました。
「それでは伺いますが、 その無事に過ごせた一日だけにでも、安全に何事もなく過ぎてくれてありがとうと、手を合わせて、感謝したことがありますか?」
と問いかけました。
十秒ほど黙っていましたが、この方は、そこからどわーっとすごい涙を流して、泣き始めました。二十分ほども そこで立ったまま泣いていたでしょうか。
私はその間に残り三十人ほどの本のサインを済ませ、それがちょうど終わったころに、彼女がやっと話ができる状態になって口を開きました。
「ほんとうに一度も感謝したことがありませんでした。 心配ばかりをして、無事に過ごしてきた日に一日たりとも、 一度たりとも感謝したことがありませんでした。
今日、帰って宇宙に、地球に、いろいろな方に感謝をするとともに、子供たちを思いっ切り抱きしめてあげます」と語りました。 泣いてはいましたが、明るい笑顔でした。
この話には後日談があります。
半年ほど経ってまた同じところで講演会があったのですが、
「先日はありがとうございました」と言って、その方がお見えになりました。
その後、毎日毎日、感謝をして、何事もないことに手を合わせてお礼を言っているそうですが、何事もなくほんとうに平穏無事に毎日が過ぎていっている。
ありがたい。何かが変わったわけではないのに、状況がなにも変わったわけではないのに、
心が平穏になり、穏やかで豊かで幸せである、ということを話にきてくれました。
<転載終了>
このことに気づいたお母さんは、もう大丈夫ですね。宇宙からのパワー、神様からの恩寵を
手に入れる方法を知りましたから。
何かが叶ったら、感謝する ではなく、本当の感謝は、何も起きないことに感謝なのかもしれません。何も起きないで淡々と穏やかに過ぎていく日々、実はこれが物凄いことなのだということに気がつくこと。
不安 恐れ 懸念 心配事というのは、私たちのために、常に沢山の恩寵を施し、時間やタイミングを調整し、様々とやって下さっている神様に対して、それに気付くことなく、感謝することなく、それどころか文句を言っているのと同じことです。
また、まだ起こってもいない未来に対し、心配し取り越し苦労することも、同じことかもしれません。
いま何事もなく 淡々と過ぎている時間というのは 何も起きていない ということではなく、神様が全てを調整し、全ての出会い別れをセッティングし、そのうえでそれがうまく動いているが故の「無事なことが起きている」の連続かもしれないのです。
この奇跡の連続、とめどもない神様の恩寵の連続、これこそが、感謝の源泉です。
そのことに気づき、感謝することができれば、宇宙からのサポートの100%を享受することができます。
正観さんは、これこそが 本当の感謝の本質と仰っています。
何かを頑張って、努力して手に入れることが感謝ではなくて、今、穏やかに穏やかに暮らしていることが、本当の感謝の源なのだそうです。
悩み、苦しみの生活の中でも、ふと穏やかな時が流れることもあるのではないでしょうか?
そんなひと時もあるのですから、「置かれた場所で咲きなさい」と言われるように、その環境の中で感謝の心を身につけることは、本当に大切なことではないかと思います。
何よりもご自身の幸せのために・・
感謝の心は、幸せになるために、どうしても必要な心です。
夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。
周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。
それが自分の身を助けることに繋がります。