あるメール 老子 孔子 菜根譚

人のいろんな性格や、特徴やできないことは、みんな「らしさ」でしょうかね。同じ人はいないので、この世は「らしさ」の集合体。すべてが必要な自然な姿です。

フーチパターンができる人は、すべてが一ついのちであることを知っているからですね。繋がっているからイメージだけでわかります。どんなに離れていてもです。簡単にいうと自分の一部だからですね。

「道」(タオ)は老子の思想です。

無為自然です。 タオは自然界に遍満するものすごいエネルギーともいえます。スターウオーズの「フォース」のようなも のでしょうか。

そしてその対極の孔子です。

「論語」です。道徳、礼儀、仁義の世界ですね。韓国の多くの人々の思想です。無為自然がすたれて道徳、仁義の世界観がおおった中国。そしてその後ふたつを交えて禅の考えも混じった菜根譚(さいこんたん)という随筆が出ます。

この菜根譚は日本で受けましたね。

この菜根譚がこの身や心に一番しっくりきます。32節33節のことばは菜根譚の特徴をよく顕します。

「功名や富貴を求める心を捨て去ることができれば、凡俗の域から脱したといえます。だが、それだけでもまだ 本物ではない。道徳や仁義にとらわれぬ境地に達してこそ、はじめて聖人の域に入ったと言えるのです。」

道徳や仁義にとらわれないことですから、それをするとかしないとかにとらわれないことですね。

してもいいし、しなくてもいい。問題にしないこと。

一般的な日本人にはあまりに理解がむつかしいですね。「ええ~~~」でしょうね。菜根譚は無為自然のタオさえこえてしまいそうです。執着を捨てることですから。

執着をもつもっとも大きな原因は「分離感」でしょうか。ひとつのいのちを生きていないという分離感です。だから執着は てごわいと、大哲人の森信三さんもおっしゃいました。

でもひとついのちを生きていると確信をもてても、なおこの世界で生かされます。多くの偉人のように。

ただ執着をなるべく薄くして、ひとついのちを生きているのだから「あなたはわたし」なのだからすべてを赦して認めて、現象を楽しむことしかできませんね。

「真の孤独を知るものが フォースを得る」

スターウォーズ 最後のジェダイから