「遮光器土偶」奥之院通信 R3 7/12

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南米コロンビアの首都ボゴダにある国立銀行附属博物館に、2万5千点におよぶ黄金製品が所蔵されており、その中には融点1774度という白金が使用されているものもあったと、昨日の通信で書いた。1700度という高温を出せるということは、1700度という温度を測定できる計測器も、持っていたということを意味する。これだけでも、当時の技術水準が分かる。
 

 また、このコロンビアから見れば地球の裏側に当たる日本では、遮光器土偶が発掘されている。青森県弘前市にある縄文遺跡、亀ヶ岡古墳から発掘されたが、これが紀元前2000年頃のものと判明している。ボゴダの国立銀行附属博物館に所蔵されている小さな黄金ペンダントが造られた時代と、ほぼ同時期のものであると考えられる。いずれも現在の文明が生まれる以前の超古代のものである。
 
 日本で発掘された縄文時代の遮光器土偶は、他にも沢山出土しているが、大きなゴーグルのようなものをつけているのが特徴である。そのために、”遮光器土偶”と命名されたのであろう。遮光器土偶のもととなった者の目が、このようなものであったわけではなく、これは一種のめがね(ゴーグル)を付けているのであり、日本でこのような姿をしたものが沢山おり、珍しいので土偶を造って残したものと思われる。

 この土偶の元となった人間は、地球外から飛来したいわゆる「宇宙人」だったのかも知れない。その独特の目は開閉式になっているようであるが、何のためにこのようなものを付けていたのかは分かっていない。開閉式のめがねのついたヘルメットを被っているのであろう。頭上には単なる飾りとは思えないような送信機・アンテナをつけている。

 見方を変えて観察すると、この土偶は宇宙服を着ている生物を描写してるようなのである。ここに注目したアメリカのあるUFOの研究家は、この遮光器土偶についての研究を纏めて、NASA(米航空宇宙局)に提出した。するとNASAから次のような公式の返事が戻ってきた。
 
 「あなたから提出された縄文スーツのデータは、非常に興味深いものです。宇宙服、宇宙装備関係当局者は、このようなスーツが作成され、それによって、そのアイディアが現在変わっていることを発表しております。即ち、めがねの枠に適応されている通信手段、柔軟性のある関節部分、足の丸いブーツの先端の圧力保持装置など、あなたの示されたものが、現在研究中のアルミ製宇宙服のデザインに取り入れられています。」

 日本の縄文時代の土偶のデザインが、新しい宇宙服の制作に取り入れられているのである。これは、宇宙工学の専門家たちが、”遮光器土偶”が宇宙服であると認めたことを意味している。つまり、異星人は超古代の日本にも沢山やって来ていたのであるが、その姿が印象的であったので土偶として残されたのであろう。しかし、この地域で戦争などがあった形跡はない。従って、この土偶の原型となった人たちとは平和裏に共存していたと言える。そこに文明が栄えたものと思われる。

 この”遮光器土偶”が宇宙服であったとする考えは、旧ソ連にもあった。旧ソ連のある宇宙科学作家が、ベラルーシ科学アカデミーに提出した「古代芸術における宇宙服の要素」という論文は、この亀ヶ岡古墳の土偶データを、そのまま主要テーマにしている。

 異星人の飛来を証拠づける事実は他にも沢山ある。それについて詳しいことは宇宙考古学関係の本に書かれているが、今や”異星人が地球に超古代文明をもたらしたという仮説はかなりな説得力を持ち始めたと言うことが指摘出来る。遮光器土偶は宇宙服を着ているように見えるが、現在の宇宙服が遮光器土偶を参考にしているのであった。

 インド・パキスタンでの航空機ヴィマナ、マルタ島に残された輸送手段としての軌道遺跡、南米コロンビアの小さな黄金ペンダントが語る超音速航空機、縄文土器で着ていたと思われる宇宙服などを見ると、超古代の文明がいかにに進んでいたかが分かる。これを核戦争が一気に潰してしまったと考えると、その破壊力というものもが想像を絶するものであったことが分かる。

 潰された文明が文献として残されていないので、その実体は分からないが、世界中に残された神話や民話に僅かにその痕跡が残されている。また、これも僅かではあるが、それらしき遺跡も発掘され、その頃の文明について少しづつ語り始めているのかも知れない。遺跡も時の経過と共に風化も激しくなるので、出来るだけ早い時期の発掘が望まれる。発掘を望まない勢力もあるから尚更である。