あるメール 清算か生産か

幼少のときから人に言われぬ悲しみや苦悩、身体的な痛みや、異常をずっと持ちながら生かされてきた人。家族のうちに精神的な問題や、身体的な問題を抱えている者を持つ家庭。家族や親類に犯罪者や人殺しのような身内を持っている人々。特にそのような子を持つ親。何度も絶望し、それでも生かされた人。未来を断ち切り自死を選択する人。

そのような方々のすべてを理解することも体験することもできません。ただただそのことに共感し、自分ならばどうであろうと考える時間をいただきます。

死ぬほどつらい目にあっても、生きている。そのつらさは自分にしかわからないもの。もちろん屈辱もあります。でも今が幸せと思えたら、全部の過去も幸せと思えるのです。

今のつらさを清算と考えるのか、そのように考えないで世を人を恨んでうらみ続けるのか、あるいは自死か。

そうするとそれは生産をしてしまいます。

もしこの世がわれ一人と考えることができたら誰かに恥ずかしいも、つらいもありませんね。ただからだのことはわかりませんが。おそらくそのように思える人には体の異常はないのでしょう。

他の人には体験ができないようなことを経験しながらこの世をなお生きている人はそれなりの役目があるのでしょう。両親や周りから自由に多くを与えられた人は必ずお人に与え続けます。そして与えられた人はまたそれをお人に送ります。

そのようにして意識の連鎖が広がります。

つらいことを内に秘めて人間は生きていくものです。