「核シェルター」 奥の院通信 R3 7/4

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現在はパキスタン領になっているインダス川ほとりのモヘンジョ・ダロが、およそ4000年前に、核攻撃を受け一瞬にして廃墟と化した。それとは別に、アブラハムが巨大な洞窟をヒッタイト人から譲り受け同胞を核戦争から逃れさせた。場所はヒッタイト帝国内のヘブロンである。今のトルコのカッパドキアも巨大な核シェルターであり、同じヒッタイト帝国の中である。

 アブラハムが核攻撃を受けた場所ヘブロンとカッパドキアとが同じヒッタイト帝国の中で、どのような位置関係にあるのかがよく分からないが、ともに核攻撃を受けている。そして、その核攻撃を受けた時期の前の前後関係とその後先の間にどのくらいの時間的差があったのかは、まだ全く分かっていない。また、遠く離れたモヘンジョ・ダロが核攻撃で廃墟となった時期との前後関係も分かっていない。

 他にも核攻撃があった場所は沢山あるが、それぞれ攻撃したのは誰なのか、どこの国なのかが分からない。カッパドキアとヘブロンはいずれもヒッタイト帝国である。そしてそのヒッタイト帝国は今から3200年前に崩壊している。それがカッパドキアやヘブロンに対する核攻撃が原因で崩壊したとすると、その周辺の国と言うことになる。また、ヒッタイトの歴史では、これは「海の民」の侵入によって崩壊したとなっている。

 この時期、「海の民」が東地中海地域で強大な勢力を誇り、多くの国々が崩壊している。しかも、その「海の民」の素性が全く分からない。分からないということは歴史に残されていないと言うことで、誰も書かなかったのか、書かれたものがことごとく焚書にあったのかいずれかである。これほどの力を持ち、歴史を変えた「海の民」なる勢力について何も分からないと言うことは、その正体は奥の院しか考えられない。

 モヘンジョ・ダロが核攻撃を受けたのはアブラハムの時代よりもかなり前のことのようである。『ラーマーヤナ』や『マハバーラタ』の叙事詩が残した記述では同じくインド方面の国が攻撃をしている。その様子は、攻撃直前に偵察した航空機ヴィマナがモヘンジョ・ダロの町の様子を詳細に報告しており、それが叙事詩に残されている。従って、ヒッタイト帝国を崩壊に導いた「海の民」はこのインドから核兵器の技術を取り入れたか、核兵器そのものを譲り受けたかしたのであろう。アブラハムがこの「海の民」とどのような関係を持っていたのかは分からないが、自分の民のいるヒッタイト帝国が、まもなく核攻撃を受けるであろうことを知っていたと言うことが重要で、彼が「海の民」なる勢力と何らかの関係があったことだけは確かである。

 この時期、ヒッタイト帝国と隣り合っていたエジプトは支配者ヒクソスを追い出し、再び国を立て直した第一七王朝、第一八王朝の時代である。エジプトもこの時期、侵略者ヒクソスを追放しているが、エジプトにいたイスラエルの民はヒクソスが追放されると同時にヒクソスのもとで貴族のような待遇を受け、エジプトの民を苦しめていたことで、恨まれ奴隷身分に落とされていた。彼らはこの時期何とかエジプトを出たいと思って王に嘆願する。王はこれを許そうとするが、民はこれを許さなかった。彼らが中間管理職に就いていたヒクソス時代、あまりにもこのエジプトの民をいじめたために、彼らはこのイスラエルの民の出国を許さなかったのである。そして、その後ようやく出国が許されてモーゼの出エジプトとなる。従って、古代核戦争で一度人類が滅んだ時期と、出エジプトの時期はそう離れていないことになる。だからこそ、奥の院の書く歴史はこの核戦争による人類滅亡の後のことを歴史とした。その前のことはなかったことにし、「進化論」なるものを持ち出して、その頃の人類は猿だったことにした。文明などなかったとしたのである。ところが事実は全く違うようである。