2379「愛の循環」2021.7.1 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月28日の記事を紹介します。

「愛の循環」

日々の生活の中で、どんな方にも神さまの仕組み(奇跡)が、起きています。

サーカスのように派手な出来事が神さまの御業ではありません。

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、それがスイッチとなり起こされます。

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて実は神様の介入により

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。

その積み重ねが、、、私たちがその流れに乗っていることでいつの間にか気づかぬうちに

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり神々の功徳を宣伝する必要はありません。

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ集まり集う心は依存心を生み自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。

パワーのあると言われる場所にご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのにどっぷりと

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく自分の心の状態に合った世界へ、自ら入っていくことでしょう。

心とは、それほど大切な物であり、その心を通じ、神様を認識することも人々の心の中の神様を認識することも可能になります。

そして何よりそのことを神々は望んでいらっしゃいます。

さあ自分の所にお参りに来なさい。お布施やお酒を持ってきなさい。そうすれば願いを叶えてやろう・・神様は、そのようなお方ではありません。

さて、今日は、この地球に置いて、人間を経験することで人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。美しき心を思い出すための記事です。

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、
・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。

私たち人間も本来そうでした。

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。

何処かが詰まったりするとせっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。

「心を受け取る」と言うこと。

私たちが、この地球に生まれたのは

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界

このような地球に来たのは、人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、魂のダイナミズムを経験し、

・お互いさまの心

・お陰さまの心

を養い育て

自分だけでなく、お互いが

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。

肉体を持つことで、様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、経験することで

肉体を持たない時に比べ、比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

アッシジのフランチェスコの半生を描いた映画ブラザー・サン シスター・ムーン、人間の心の美しさが描かれています。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、素直な心、ピュアな心になればなるほど、悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていてもその人の心の状況によって、受け取り方が、全く正反対の人もいます。

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか?

その違いだけで、空海が仰っていたように、

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか?

それほどの違いが出てきます。

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。

心こそ、全ての全てです。

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ お互いの違いを知り、受け入れ

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。

今、生きているのは効率よく、何かを成し遂げるためではありません。

大きなことをするためではありません。

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる強い人間になるためでもありません。

相手の方の心を信じその奥底に在る、神さまを信じることができれば

全ての方が、自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。

常に心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、

相手の方の態度、行動の裏に隠された寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り

包み込んで差し上げることもできるでしょう。

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。

生きている間に、何事も、成すことができなくとも

名もなき一人の凡人で終わったとしても

互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと

そのことに勝る人間としての経験はありません。

心を知る、感じ取ると言うことは、人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。

ですが、今私たちの住む21世紀は本来の、私たち人間の精神を復活させようと、

見える者、そして見えない方々が大きく動いています。働いています。

自分の心を開き、相手の心も受とり、

お互いを信じ助け合い、 喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、

魂の輝きを増していく時代です。

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に一緒にやっていくためのパートナーです。

この人と人人と、動植物たちとの美しい心の交流こそ唯一

私たちが亡くなった時に持って帰ることができるものです。

お金や物は持って帰れません。

そして、これこそが、私たちの魂を飛躍的に進歩させてくれる宝物です。

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、そんな、深い深い意味があります。

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに気付いて、大切にしていれば、私たちの心も大切にされます。