「赤十字がお出まし」奥之院通信 R3 6/12

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-597.html

1945年に入って、奥の院・ディープステートはようやくドイツ人の大虐殺をそろそろ終えることにしたようである。もうドイツの国土は完全に破壊し尽くしたと判断したのである。ようやく赤十字国際委員会(ICRC)がお出ましになるのである。ICRCが1929年発効のジュネーブ軍事協定を適用してドイツが中欧と西欧に拘束している非拘留者への接近に成功したと言うことにした。しかし、「何で今まで放置していたのか」との疑問を抱く人は余りいないようである。

 ところがソ連は、対照的にこのICRCの接近を拒んだ(スターリンにこれを拒ませた)。ホロコースト問題を起こすために、アウシュビッツなど東側の強制収容所は手をつけさせなかったのである。ソ連はまだジュネーブ軍事協定を批准していなかったからスターリンはこれが可能だった。

 それに、スターリンにこれを許すと、ホロコーストの物語の中心をなす「ガス室」が無かったことが直ぐばれてしまうので、嘘物語を世に広めることが出来なくなる。こうしておいて、奥の院はニュールンベルグ裁判へと事を進めていく。ソ連には何百万という市民が軍事上の理由から強制収容所に入れられていた。そして、その生活状況は最悪だと知れ渡っていたが、問題にはさせなかった。スターリンがICRCの申し出を断った段階で、強制収容所に関する情報は、あらゆる国際的接触や管理からは切り離されてしまった。切り離させたのである。

 ここで赤十字が行った報告は、ユダヤ人がなぜ強制収容所に入れられているのかの、法的根拠を明らかにした点では価値を持っている。それは、敵性外国人として拘留されていたのである。彼らはドイツ国家に宣戦布告しているので、ドイツ国にとっては敵性外国人なのであった。こんなことは開戦当時からわかりきっているのに、この段階でようやく明らかにしたのであった。

 赤十字報告によると、ドイツは安全保障の理由から、最初は拘留した人たちを赤十字が管理することを嫌って認めなかった。しかし、1942年8月以降、ドイツにある強制収容所に食料小包の配送を認めた。そしてこれは、1943年2月以降、ドイツ以外の全ての収容所や刑務所に広がった。そして間もなく、ICRCは各収容所の管理官と連絡を取り、食料救援計画を実行し始めた。この救援活動は1945年に入っても、ドイツ敗戦の5月まで機能し続け、これに対する感謝の手紙がユダヤ人の拘留者からICRCに送られていた。赤十字配達の受取人はユダヤ人だった。

 報告書には「9000もの小包作業が毎日行われていた。1943年秋から1945年5月(ドイツ敗戦日)まで総計111万2千個が発送されたが、その総重量は4500トンだった。これらが種々の強制収容所に送られ、その中には食料以外に、衣類や医療品も含まれていた。」とある。

 また、「戦争の全期間を通じ、ICRCは救援物資という形で、2000万スイスフランを送付したが、これは全世界中のユダヤ人の福祉組織から集めた金であって、ことにニューヨークのアメリカ・共同分配委員会からの寄付が多かった。」と報告している。

 ICRCはこの段階でも大きな不満を抱いていた。それは、ユダヤ人被拘留者への莫大な救援作戦を妨害しているのはドイツ政府やドイツ軍ではなく、むしろ連合国側のヨーロッパ封鎖が原因だったと言うことである。この事実は堅く隠蔽されている。

 つまり、ホロコースト問題は全て奥の院・ディープステートのしたことであると分かる。少なくとも直接の原因は彼らである。彼らがドイツの収容所のある都市を徹底的に空爆で破壊し、物流を完全に止め、収容所には救援物資すら届かないようにした。その上で、アメリにも犠牲者が多くなりすぎたので、1945年に入って赤十字の活動を認めた。それまではドイツを完全封鎖していた。

 そしてドイツが崩壊したら直ぐにニュールンベルグ裁判を始め、全ての原因はナチス・ドイツにあると決めさせた。裁判が終わると、ユダヤ人犠牲者だけではなく、ユダヤ人全てが可哀想な犠牲者、残酷な悪魔ナチスという印象操作をするための大宣伝を始めた。当時はまだテレビがなかったので、新聞、雑誌、書籍、映画を総動員して世界中を洗脳していった。

 その上で、戦後半世紀が過ぎ、そろそろこの問題が風化しそうになると、このホロコースト問題を話題にさせないよう、法律で縛った。その上で、「ホロコースト」、「600万人大虐殺」、「ヒットラー」は悪魔と言う言葉だけを残した。この法律がいつまで続けられるかで、このホロコースト問題がいつ終わるのかがわる。言葉だけ残しておけば、彼らは充分目的を果たせるのである。その意味では、まだホロコースト問題は決して終わっていない。悪さをして、それを他人のせいにするという彼らの手法は、いつまでも変わることはない。