「アンネ・フランクの日記」 奥の院通信 R3 6/7

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先の大戦後、超ベストセラーとなった『アンネの日記』は、さすがにもう下火にはなっているが、いまだに読まれているようである。しかし、これが欺瞞のベストセラーと言われれば、誰しも驚く。
 1946年10月にはニュールンベルグ裁判も終わったが、その6年後に、この『アンネの日記』が出版され、これがベストセラーとなり、全部で40版を重ね、ハリウッドで映画化もされた。

 アンネの父親オットー・フランクは、娘の悲劇を描いていると見せかけたこの本の出版で、ひと財産を拵えた。人の感情に訴えかけることによって、数限りない人々に影響を与えた。ナチス、ヒットラーは悪魔、というイメージを世界中の人々に与えた。そして、その裏返しで、ユダヤ人は可愛そうな民族という評価を定着させた。

 ところが、この本が最初に出版されてから7年後、ニューヨークの高等裁判所の法廷は、「『アンネ・フランクの日記』は1個の悪ふざけだった」との趣旨の判決を出した。これまでこの本は、アムステルダム出身の若いユダヤ人少女(12歳)の、本当の日記として出版された。少女が12歳の時に、彼女の家族がドイツ軍占領期間中、他の4人のユダヤ人と一緒に、ある家の隠れ部屋に住んでいて、その間に書き綴ったものとされてきた。

 実際は、住んでいた人々は連れ出され強制収容所に入れられが、彼女は14歳の時その収容所で死んだ。父オットーは、戦争が終わって解放され、アムステルダムの家に帰ったが、彼はそこの垂木の中に隠してあった娘の日記を発見したということにした。これが本の筋書きである。しかし、1951年、スウェーデンの新聞フリア・オルドが真実を暴露した。もともとユダヤ人小説家マイヤー・レヴィンが「日記」の会話部分を既に書いており、この仕事に対する対価の支払いを要求し、オットーに訴訟を起こし、これを公表したのであった。

 そして、その時のスウェーデンの新聞記事の要約文として、「アメリカ経済会議書簡」の1959年4月15日号に経緯が掲載され、この事実が世に出た。

 「過去の歴史が示す通り、神話は事実よりも更に長く、且つ更に豊かに生きるものであって、その実例は枚挙に暇が無い。しかも神話になれば、真実であった時より更に効果的に働く。西欧世界は、数年の間、あるユダヤ人少女のことを知らされてきたが、それは彼女が個人的に書いたと考えられてきた物語『アンネ・フランクの日記』と言う媒体を通じてであった。

 もし文学に精通した者が、この本を少しでも調査したならば、これが10代の少女の作品ではあり得ない、と言うことを示したであろう。ニューヨーク高等裁判所は価値ある決定を下して、今述べたこの日記に関する見解を確認した。即ち、高等裁判所は、アメリカの有名なユダヤ人作家マイヤー・レヴィンに5万ドルの報奨金を与えるべきであると裁定するが、この金はアンネ・フランクの父親によって、アンネ・フランク日記へのレヴィンの労働に対する謝礼金として、支払われるべきものとする」とあった。

 「アメリカ経済会議書簡」は、更に「フランクは今スイスに住んでいるが、彼の同族人(ユダヤ人)のマイヤー・レヴィン氏に最低でも5万ドルは支払うと約束した。その理由は、フランク氏は作者レヴィン氏の会話をそっくりそのまま使って、それをアンネの日記の中に嵌め込んで、娘の知的創作という装いを取らせたからだ」と書いている。

 更に調査が続けられ、ニューヨークの某法律家団体から1962年5月7日に回答が届いたが、それにはこう書かれていた。

 「小生は、作家マイヤー・レヴィンがオットー・フランク氏やその他の者に対して起こしている訴訟事件におけるマイヤー・レヴィンの代理弁護士です。あなた方の『経済会議書簡』がお示しの通り、陪審団がマイヤー氏の損害額を5万ドルと見積もったことは事実です。ですが、この支払うべき報酬の金額は、裁判所判事のサミュエル・コールマン名誉職によって、無効を宣言されました。それは、損害額の査定が法律の要求する方法でなされなかった事実が根拠とされています。コールマン判事の決定の告発を受け入れるか否かはまだ決着が付いていませんが、訴訟の案件は(オットー・フランク氏が支払いの一部を受諾した以上)その後決着しています。」

 「私が非常に恐れていることがあります。それはアンネ・フランク裁判自体が、公式には報道されていないことであって、少なくとも裁判それ自体、或いは判事コールマンの決定に関する限りは、公式にはレポートされていません。怖るべき省略です。或る種の法律手続き上の問題は、正しいファイルがあり、多分大きなファイルであり、資料がいっぱい詰まっているはずです。」とある。

 ユダヤ社会は長期間事実を隠し、問題が忘れられて風化していくのを待っているかのようである。彼らの目的はもう充分果たされたからである。後はこの話が蒸し返され公になっては困る、ということであろうか。メディアはこれを隠した。