「アウシュビッツ」 奥の院通信 R3 5/28

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アウシュビッツはユダヤ人虐殺を話題にする時には必ず出てくる名前である。アウシュビッツはポーランドの古都クラコフの近くにある。ここが、何百万人ものユダヤ人を殲滅したと言われ、非常に有名になった町である。このアウシュビッツの存在が、世界中の人の意識に浮かび上がってきたのには、ある経過があったからである。

 先の大戦が終わって正直に事実を検証する者も出てきて、イギリスとアメリカ合衆国の占領地域にあった西側のドイツの収容所(ダッハウ、ベルゼン・ベルゲンなど)には、言われているようなガス室はなかったことが判明した。そこで注目は東部の収容所、特にアウシュビッツに移ったのであった。それまでは、アウシュビッツには誰も注目などしていなかった。

 裁判で主張される通り、確かに、アウシュビッツにはガス窯は存在した。そして、残念なことに、アウシュビッツなどの東部収容所はソ連の占領地域にあった。しかし、この地域にユダヤ人を殺処理するガス室があったとの主張が、正しいかどうかを検証することが、誰にも出来なかった。

 ソ連のスターリンは、戦後数十年経過するまで、誰にもアウシュビッツを見ることを許さなかった。そして、その数十年の間に、ソ連はアウシュビッツの外貌を一変させ、「数百万の人々がそこで皆殺しにされた」と言う主張に、充分な信頼性を与えることが可能になったのであった。

 ソ連で、そのような虐殺を偽装するような詐欺行為など、出来るはずがないと信じられたのである。もしもこれを疑う人がいれば、その人は間違いなくスターリンの秘密警察によって拉致される。それは、何千人もの人が殺された場所に建てられている記念碑のことを想起すべきである。これは、先の大戦でドイツ軍に殺された犠牲者を記念してのものだとソ連は主張している。しかし、それはユダヤ人とまではいいきっていない。そこは微妙に誤魔化しているのである。

 しかし、事実はこうである。アウシュビッツは、戦争産業の中心都市で、あらゆる種類の素材を生産していた。ここは最大且つ最重要な産業・工業地帯であった。従って、ここにあった収容所キャンプの被収容者たちはその労働力を提供していたのである。I・Gファルベン工業の建設した合成石炭と合成ゴムのプラントから成り立っていた。また、それ以外にも、各種試験施設や植物の苗床などの畜産業設備といった、農業・牧畜調査研究機関も存在した。また、更にクルップ製鉄所の武器製造工場まで造られていた。

 これらの工場に労働者を提供するのが、このアウシュビッツ収用キャンプの主な機能であった。ヒムラーが諸キャンプを訪れた際の記録も残っており、これによると、産業効率の調査とその評価とが、彼のキャンプ訪問の主目的であったことが良く分かる。

 ヒムラーは1941年3月、I・Gファルベン工業首脳陣を引き連れて、アウシュビッツを訪れているが、彼はその囚人施設としてのキャンプの問題には、全く関心を示していない。ただ、I・Gファルベンに労働力を補給するために、キャンプに10万の拘留者を保持できる能力を与えるよう命じただけであった。この事実は、収容所の被収容者を百万人殲滅するという政策とは完全に矛盾する。殺してしまっては労働力確保など不可能である。

 ここで重要なことは、なぜスターリンがこの件に関して情報遮断をしたかである。あるいは、彼に誰が情報遮断をさせたかである。その連中はアウシュビッツ虐殺物語を必要としたのである。ここで嘘話が必要で、その物語作成にスターリンは協力したのである。なぜか、それは彼らはグルだからである。奥の院が絵を描き、それを忠実に実行していただけのことであった。その作業が、今も真実を隠すことで続けられている。これが崩れたら困るので、ここに手をつける可能性のあることは一切許さない。口にしただけで牢屋行きだよとした。これはいまだに続いている。

 奥の院が先の大戦後に、東西冷戦を仕組んだが、この600万人虐殺神話維持には、スターリンもしっかり協力している。ところが、ある時期、スターリンはこれから先は危険だと、奥の院は判断したのであろう、彼は暗殺された。もちろん他の要因もあってスターリンは奥の院に消された。それだけ、この600万人神話は、奥の院にとっては極めて重要な案件なのである。彼らはいつの時代も、常に人類を敵として戦争をしているのである。そこには慈悲などと言うものなど存在しない。普通の人間にはおよそ想像も付かないことである。