2333「神さまと感謝の心」2021.5.16 自分で自分を自分する から

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今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月11日「神さまと感謝の心」と

2021年05月12日「天に帰ろうとしている方へ」の2つの記事を紹介します。

「神さまと感謝の心」

ここでも、何度も書いていますが、神様の恩寵は感謝を媒体に現れます。

ですから、感謝し続けていれば、自分にとって悪い出来事は起こりようがありません。

逆に、憎しみの心がある限り、真の幸せは手に入りません。

憎しみを手放さない限り、周りに毒をまき散らし、ついには自分自身の精神と肉体を病ませてしまうことでしょう。全ての出来事は、神々の許し、OKが出て初めて起こります。

その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨きそして輝かせ、光を発しさせるためです。

憎しみの心を手放し、まずは、身近な周りの人たちに「ありがとう」、そう口にしてみてください。その瞬間から運命が変わりだしますから。。。

私たち人間は、誰もかれも、みな平等に、神さまの愛と、恩寵を受けています。

ですが、それが実際に現れるか、現われないかの違いはその本人に感謝の気持ちがあるかどうか・・なのだそうです。

感謝がある所、それを媒介として神さまの奇跡が現れることができます。

今日はクリスチャンの立場から

・感謝

・ありがとう

について述べられている記事をご紹介します。

書いた方は、「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんです。

ではご紹介します。

<転載開始> 転載元

「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。

私が50歳でうつ病にかかり、「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。

何も出来ない。死んだ方が良い」とさえ考えた私を、病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。

「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。

大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。

修道院に見舞いに来てくれた1人の精神科の医師は、

「この病気は信仰と関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、他の医師からも、

「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、うつ病になったのも、

神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。

※注 摂理とは・・

生まれてくる前に、私たちが神様と一緒に、これから生まれる自分の人生で、起こる出来事、

交わる人々、別れる時期など細かく決めてきた内容のことです。

もとの自分に戻るのに、2年かかりました。今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。

マザーが来日した時に通訳を務めたのが渡辺さんです。

そんな私が、それでも感謝できるのは、病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、少し優しくなれたことでした。

さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、「私も、うつ病になったのよ。きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。

「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、「やっぱり感謝」と言えるようになりました。

神さまに、「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。

すべては恵みの呼吸なのです。どんな不幸を吸っても、はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。

<転載終了>

渡辺さんは50歳を過ぎてから「うつ病」を発症しました。それがあったからこそ、人々の苦しみ悲しみを理解することができ、感謝の心を学んだのだそうです。

そう考えれば、渡辺さんのうつ病も「あらかじめ決められた出来事」つまり摂理であったのでしょう。

その苦難の最中は、苦しくて苦しくて、神をのろい、死んでしまいたかったことでしょう、

ですがその苦しみが、心の糧となり、深い深い愛の心の持ち主となったのかもしれません

私たちも、もし今、悩みのふちにあり、神や世間を呪っていたとしても、きっとそれが

晴れる時が来ることでしょう。 

諸行無常、良きことも、悪きことも、全ては、刻々と変化して流れているのですから・・・

そしてその悩み苦しみも、神様とともに生まれる前、自分で決めてきた摂理なのですから。

つい愚痴が出てしまう気持ちもよくわかります。生身の人間ですから。

ですが、どのような苦しみ、悲しみの中にいようと私たちが、たった一人で、孤独に置かれることは一秒たりともありません。

私たちが、気付こうと、気付くまいと私たちの神さまは、必ず、傍らにいらっしゃいます。

今日の渡辺さんの記事、そのエッセンスは、私たちは温かな摂理のもとに生かされている

そのような環境に置いてくださった、神様に感謝し、私の人生に関わってくださった周りの人々に感謝して、ありがとう・・ と敵にも、味方にも・・そう、言うことかもしれません。

自分の心が感謝で、溶けた時、神々の恩寵が、怒涛のごとく押し寄せることになります。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

「天に帰ろうとしている方へ」

今まさに天に帰られようとしていらっしゃる方々にも、普段このブログで言っている、

「感謝」や「ありがとう」が通用するのか? 綺麗事では無いのか? について書きたいと思います。

アメリカの著名な心理学者、レイモンド・ムーディー博士が臨死体験者150人の証言をもとに、「臨死状態に陥るとどんな感覚になるのか」をまとめあげたものがあります。

それによると、蘇生にいたるまで計14の過程があると言います。

私達は過去、何百回も死を経験し生まれ変わっていますが、今生きている間は、それらの記憶が封印されていますから、あちらでの生活や、その移行過程(生まれる、死ぬ)の記憶はありません。ですので、この臨死体験者の経験が何か役立つかもしれません。

臨死体験者は、臨死状態から生還にいたるまでまで次の14の過程を踏むのだと言います。

1、自分の死の宣告が聞こえる

2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる

3、不思議な声が聞こえる。中には美しいメロディーという人も

4、突然暗いトンネルの中に引っ張られる

5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する

6、懸命に自らの苦境を他人に訴えるが、誰にも聞こえない

7、時間の感覚がなくなる

8、視覚や聴覚が非常に敏感になる

9、強烈な孤独感に襲われる

10、周囲に様々な“人”が現れる

11、「光の存在」と出会う

12、自分の一生が走馬灯のように映し出される

13、先に進むことを遮られる

14、蘇生する

臨死ではなく、実際に向こうから戻らない場合には、

上記の13と14が無いことになります。

また肉体が死を迎える時、脳から大量のドーパミン(快感物質)が分泌されることが解っていますので、痛みはありません。

これから、元の世界に戻ろうとされる方は、意識の中で光が見えたら、そちらの方向へ進んで下さい。

瞬間的に亡くなるのではなく一般的には、肺の機能が低下し、血中酸素濃度が減り、脳の機能停止が起こると言われています。

ですので、私達一般人が

「死ぬ時って痛いんじゃない?」という心配は要りません。肉体が機能停止した時、 光が現れるので、そちらに入って行く・・ と言う事さえ間違わなければ大丈夫らしいです。

どうか元の世界に、帰られる皆さん、安心して下さい。遅い早いの違いはあれ、みんなが通る道です。また私達は、もうすでに、何百回も輪廻を繰り返していますので、生と死は怖いものではありません。

さて、これで死と言う境界を通過する際の心配は無くなりました。

後は、死ぬ瞬間まで どう生きるか? と言う事が問題となります。

瀬戸内寂聴さんは、死ぬ瞬間に付いてこう仰っています。

どんな辛い病気をしても、死ぬ瞬間まで、努力して下さい。人の命は、そうするに値するものなのですから。

何に努力するのでしょうか? 

寂聴さんは、私達の知っている「努力」と少し違った意味でこの言葉を使っています。

それは、この世に生まれてくる時に自分で決心したことを、やり遂げることです。

それは、もしかしたら、ブッダが2500年前に説いた般若心経の真髄のことかもしれませんね。この般若心経はブッダが一番後世に伝えたかったことなのだそうです。

日本には三蔵法師を介してもたらされました。

そしてこの般若心経の真髄こそが、日々の生活の中での「ありがとう」、「感謝の心」なのでした。

・動物、

・植物、

・自然現象に

感謝すること、ありがとうと言うこと。そして感謝の真心を込めて日々を過ごすこと。。

私たちには、元の世界に帰るまで、時間はあまり残されていないかもしれません。

健康な人でさえ、明日、帰らなくてはならないかもしれません。どうか後悔せぬように、

最後の一息を吐き終わるまで、感謝の日々をお過ごしください。

この最後の意識状態こそが、次の生へと大きく影響すると言われているからです。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。