「奥の院とディープステート」 奥の院通信から R3 3/22

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最近、ディープステート(DS)と言う言葉はよく使われるようになった。どこの国も、表向きのリーダーとは別の者たちが実権を持って、その国を支配していると思われるようになり、その本当の支配者たちのことを、ディープステートと呼ぶようになった。しかし、残念ながら、そのディープステートを作ってその国を支配している、奥の院の存在についてはまだあまり認識されていない。

 奥の院はこの「奥の院通信」での造語で、太古の昔から世界を支配している者たちを指して使った。彼らはユダヤ人で、紀元前922年、イスラエル王国が分裂し、その一方である南のユダ王国の人たちである。彼らはパレスチナの土地で、あまりにも悪さをするので、隣国新バビロニアのネブカドネザル2世がこれを攻めて滅ぼし、捕虜としてバビロンに連れて行った。パレスティナの地は、南アジア、北アジア(シルクロード)、地中海北岸、南岸からの4通路が交わる交通の要衝で、荷物を運ぶ隊商の通路であった。ネブカドネザル2世はこれを滅ぼして問題を解決したのであった。

 ユダ王国のユダヤ人たちの生業は、この隊商を襲っては荷物を略奪することだった。これはこの当時の世界の大問題で、先のネブカドネザル2世がこのユダ王国を滅ぼして問題を解決したのであった。滅ぼされたユダ王国のおよそ3万人が捕虜としてバビロンに連行された(バビロンの捕囚)。しかし彼らは連れて行かれたが、その後はバビロンで自由に暮らすことを許されていた。

 その後、このユダヤ人たちはパレスティナの地に戻った者、バビロンに残った者、新たにペルシャに移り住んだ者、その他の世界に散って行った者の4者に分かれた。この時から、彼らは組織的に民族集団を形成し、世界に勃興してきた王国に入り込んでいった。

 そして、彼らはそこに半世紀か1世紀くらい寄生しては、その国を謀略で滅ぼしてしまう。寄生虫がその宿主を食い殺してしまうようなものである。世界各地に国が勃興しては滅んでいくが、滅んでいく原因は必ずこのユダヤ人たちが原因となる。

 親ユダヤ人識者たちは国内のユダヤ人を迫害し追い出したから、その国は滅んだと説明する。しかし、真実はその逆である。その上、彼らは滅ぼした国の人たちのことを心底憎む。バビロンは「バビロンの売女(ばいた)」と言っていまだにバビロンを罵っている。

 しかも、この地はその後永久に自分たちの国を建てることが出来ず、バビロンでは2000年以上経ってようやくサダム・フセインがイラクという国を建てて、石油資源で繁栄するかに見えたが、これも同じユダヤ人(奥の院)に湾岸戦争などというインチキ戦争を仕掛けられて滅ぼされた。それから今まで、バビロンの地はユダヤ人に占領されたままなのである。 

 しかし、彼らはバビロンを憎み、半世紀後に謀略を仕組んで、隣の大国であるペルシャにバビロンを滅ぼさせた。この連中が今のユダヤ人である。それまでは、彼らのことはイスラエル人、ヘブライ人などと呼んでいた。ペルシャは彼らの謀略でバビロンを獲得できたので、彼らにはご褒美として、パレスティナに戻ることを許され、またその上バビロンでの略奪を許した。バビロン人はこの連中に悉く略奪され、奴隷の身に落とされた。そしてユダヤ人はバビロン人の富を悉く収奪し、バビロンの支配者になった。

 これに続いて、彼らユダヤ人は世界中に出かけて行っては、行った先の国を滅ぼしていく。この連中を仕切っているのが奥の院である。この奥の院が出かけて行っては、行った先の国に、その国を支配するためにその国の一部の人間を籠絡し、味方に巻き込んで国を滅ぼす。そのために作った国の中の国がディープステートである。彼らに籠絡され、その国の支配者になったものは、その国の売国奴である。

 分かり易く言えば、今世界中の国に巣くっている奥の院傘下の連中が、その国のディープステートで、彼らは自分たちの国に忠誠を誓っておらず、奥の院に忠誠を尽くす。その代わり大富豪となり、地位を得て、その国の指導者となる。そして彼らは自分たちの国を滅ぼしていくのである。

 奥の院の連中は、その国が滅んで無一文になったら、何事もなかったようにしてその国を離れる。その上で勝ってた国へと移動して行く。そこで、彼らは再びそこに巣くって、その国の略奪を始める。その上で、その国の富を収奪し、そこの富を吸い尽くし、また静かに出て行く。その国は静かに死んでいくのである。それが人類の歴史である。

 日本も同じ目に遭った。戦国時代のあと、奥の院の手先がキリスト教布教のためと称して、宣教師の身分で日本に入り込んだ。彼らはイエズス会の連中で、キリシタン大名を育てて籠絡し、彼らを使って日本の植民地化を企てた。これは秀吉、家康がそ意図を見破ってバテレン追放令を出し、何とか難を逃れた。

 次に入ってきたのが幕末で、薩長を中心とした若い武士をテロリストに育て、孝明天皇を暗殺し、国をひっくり返した。しかし、この時のテロリストは「天皇が治める国」という国體は壊さなかった。彼らはそれ程愚かではなかったのである。この時のテロリストたちには、国を滅ぼすという意識はなかったのである。

 そして、その後次々と戦争をさせられ、最後に先の大戦を戦わされて、国が滅んだ。この時は昭和天皇の英知で国体はなんとか護られた。しかし、何とか護られたその国體もそうとう毀損され、今では万世一系の天皇というものが攻撃されている。奥の院に使嗾された日本人が、嬉々としてこれを壊そうとしているのである。これらの日本人が日本におけるディープステートである。

コメント

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「寄生虫」、的確なご指導で、「≒」で売国奴と結ばれるのもよく理解させて頂くことができました。
何度か、このコメント欄でもご報告させて頂いたが、幕末維新期に蠢いた奥の院・DSの悪行を辿るのは、興味深い。
先生の「奥の院通信」を参考にさせて頂いていることは言うまでもないが、国史を識る上で、奥の院の謀略を避けて通ることはできない。

言及された孝明天皇の暗殺だが、欽定憲法下では、そのことに触れるだけで「不敬」とされてきたが、ならば、その価値観は誰が作り、どのように広められてきたのかとの素朴な疑問に突き当たる。
明治憲法と言えば伊藤博文だが、文久2年(皇紀2522年 西暦1862年)12月12日に品川御殿山の英国公使館に放火し、同月20日には国学者の塙次郎を暗殺したと言われている。
孝明天皇暗殺の「容疑者」にも挙げられている伊藤が、当時のテロリスト(例えば、高杉晋作…)から成り上がった面々と共に作り上げた価値観が、彼らに都合よく、しかも自分たちの仕業を覆い隠すために有利なものにした可能性は、決して少なくない筈だと考えている。

イエズス会宣教師の時代に比べ、「たった四はいで夜も眠れ」なかった蒸気船(上喜撰)の発達により、開国要求(=侵略)が頻繁となった幕末を耐え抜いた反面、籠絡され、奥の院の「ポチ」「パシリ」に成り下がった「志士」も、ひとりやふたりではなかったと考えている。

『尊王攘夷というのは幕府を倒す口実よ』と、西郷隆盛は語ったとされているが、「討幕」にこの時代の謎を解く鍵のひとつがあるのではないだろうか?

世界最強の刃物、「日本刀」を奥の院は恐れていたのだろう。
それは日本刀=武士であり、武士=江戸幕府の破壊を最優先とする企てへと繋がり、様々な手法を駆使して「売国奴」を駆り集めて、協力者に仕立てたのだろう。

生麦事件(文久2年8月21日)で、ジャーディン・マセソン商会の英人たちは、日本刀の切れ味を目の当たりにして腰を抜かしたに違いない。

本日も、ご指導ありがとうございました。
2021-03-22 07:26
菊池和雄
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