真理の光 その6 意識を起こして 意識せずの凄さ

先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。

まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。それから上からの光の種類(光の振動)によってレタスの色目ややはり生育スピードが異なること。

振動圧がレタスの電子を活発化しまた光子も同じように活発化して、レタスの生育を促進します。空気も光も振動です。何らかの圧が物質を作り出す元となることをずっと検証してまいりました。そしてその最大の圧は意識であることも。

では「瞑想」のように瞑目しながら何も意識しないことは人間にどのような影響があるのでしょうか。もちろん眠っているときは何も意識していないと思いがちです。でもほんとうに眠っているときは何も意識していないのでしょうか。

それでは眠っていさえすれば「瞑想」と同じ効果があるのでしょうか。古来多くの人々が「瞑想」をしてきた意味が消えてしまいそうです。おそらく眠っていても意識はあるように感じられます。ただ横になって眠っていることで、物質的にはアースされた状態となり、滞りが無くなることでしょう。ですから眠るのは椅子で眠ったりせずに横になって眠ることが大切といわれるようです。

ここでは人間の意識はずっと止まらないことになってしまいます。そこで地球上の人間が常に意識していることは無限の多さであり、無限の圧といってもいいでしょう。無限の無限の意識圧です。それが寝ても醒めても連続しています。その無限の意識圧を現実化する膨大な接着剤の光はどこから来ているのでしょうか。

「意識を起こして 意識せず」

起きていても眠っていても意識を起こしているのならば、意識をしないことは逆に意識を起こしているときにしかできないようです。これが古来「瞑想」が重要とされてきた理由でしょうか。もし「意識を起こして 意識せず」ができたならば光の元、一元の本源に自分がそのままになることができるのかもしれません。というよりも、もともとそうであったとの深い感慨を得るのでしょうか。

「瞑想」でふるさとへどうぞ。そして「万事如意」の世界観を達成なさってください。無限宇宙は無限意識そして無限のバイブレーションに満ちています。