神の使者から奇跡の道へ その26~自分自身を愛のない存在として・・・

「自分自身を愛のない存在として見ることを
選ぶなら、あなたは幸せにならない」

「愛」というとなんか恥ずかし。
大和の国の人たちにとっては「慈悲」のほうが
しっくりするかもしれません。

誰だって「慈悲の心」がない人はいないと
感じるのですが。
強烈な事件を起こした人とか、
子供を虐待するような親とか。
今騒ぎの車に関する運転の仕方の問題とか
人間かしらと疑うような事件がありますね。

でもその方たちだってきっと幼い時から
環境が作り出した強烈な自我想念を
あたりまえに思って、普通の方たちでは
信じられないようなことを現実にされるんですね。

なんでも原因があって結果がある。
これは真理ですね。

世の中で起きるさまざまな事象を知るだけで
すでに知った方たちはそのことを
共有し、裁きますね。

裁かないで「受容」し「赦す」ことがどんなに
難しいことか、当事者になればなおさらでしょうか。

でもおきることはすべてが「幻想」だと知れたら
そして心から思えたら、起きていることが
どんなに大変なことでも、まず知った人が
「受容」と「赦し」に至ったときに、当事者の
すべてはすでに癒されたものではないでしょうか。

あなたこそが神の唯一の被造物だからです。

「自分自身を愛のない存在として見ることを
選ぶなら、あなたは幸せにならない」