神の使者から奇跡の道へ その19~絶対的真実を早く体験する方法を見つける

「絶対的真実を早く体験する方法を見つける」

チベットの密教の修行僧は常に楽しそうで
常に「在る」状態と聞きます。
そうじゃない方もいらっしゃるでしょうけれど。

「絶対的真実」ってのが最初の問題ですね。
まず求めなければ。
今の現実に見ている世界を絶対的な真実だと
思われているのだったら、遠い世界観になるようです。

ですから今見ている世界は絶対的、すなわち絶対不変の
真実とは程遠いと、まず確信する必要がありますね。
それなら何が「絶対的真実」なのだろうと求めることが
最初の一歩でしょうか。

言霊「ウオアエイ」もダライ・ラマさんの「ギャテーギャテー・・・」の
解説もまったく同じことを言っています。

ウ 発心し求める、考える。
オ そして学ぶ、聞く。
ア 見性する。
エ 見性の体験通り行動する。
イ それを続ける。

以上の5つです。
体験とは「見性すること」。

たいていの先師は「瞑想なくして見性なし」と
語りました。
瞑想の方法はたくさんあるのでしょう。

ただ求めても得られないのも真実です。
もっといえばきっと求めるならば得られないし、
求めなければ得られない。
なんと、難しそうです。

しかし「人参から宇宙へ」のAさんは農業に専心し
大きな人参ができてそれに触れたときに、見性します。

求めて求めてやまなかった方が、求めることを忘れて
しまって、一時に集中しているときに見性します。

もしかしてマラソンの「ランニンングハイ」なんかも
一種の見性かもしれません。
まだ走ってますけど、走っているという意識が消えれば。

そんなことどうでもいいのでまず毎日の幸せ。!
そう思われる人はそれでいいですね。

それでもそれは人間として生まれさせていただいたうちの
今まで体験したこともないような、そして現実の
喜びとか感動とかとは比較にならないようなものだったら
どうでしょうか。

一旦の見性後は、それ以後の人生を一変させることでしょう。

そして以後、自我の執拗な攻撃さえも「愛」に融合
させることが可能になるのかも知れません。

「いかなる種類の恐れからも完全に自由」
となるようです。

「絶対的真実を早く体験する方法を見つける」