神の使者から奇跡の道へ その16~他にはなにもない

「他にはなにもない」

これはなかなか。。

他って、なんの他なんでしょうか。

いつも目にしているものが確かに存在していると
思い込んでいるのが普通ですね。

目にみえるのですから。

それならば見えなければ、そして聞こえず
何の感触もなく、においも無いとしたら。

感ずるすべてを「空」は実体がないものと
説いています。

ですが心底から「空」だと信じれなければ、何もない
ことはわからないですね。
「在る」と「有る」はちがいますね。
言葉遊びのようですが。

「一度の体験はエゴに戻せない」

体験しか確信にはいたらないようです。
他にはなにもないことの。

もし自分の意識が無限だとしたら、
自分の意識以外には何も存在しないことになります。
「少し寂しいけど・・・」はありがとうおじさんの言。

「理解すること。
知っているは奇跡(癒し救済)に至らない。
知らないは至る。」

ほんとうは夢のような現実が、そして個々の
人生上の体験がそのカギを握っているようです。
大変な人生。
誰もがもうギリギリでなんともならない悲しみに打ちひしがれるとき。
いやでいやで仕方がない出会いが毎日続くこと。
肉体上での大きな事故。
立ち上がれないほどのいじめ。

大きな試練を受ける人ほどそのカギは確かに
目前に現れます。

大チャンスでしょうか。
解放の時です。

そしてそのカギは「赦し」と言えます。

「真理は現実の只中にある」

求めても求めても得られない人が
突然に花開くとき、それは全体の解放のチャンスです。

なんせあなたは無限なのですから。

「他にはなにもない」