霊性の旅 1 〜 始まり

よく聞かれることがあります。
「いつ頃からそんなような考え方になったんですか。?
何かきっかけってあったんですか。?」
そんなに不思議なんでしょうか。
40歳で小さな建材販売の会社の代表になって、
どんな人でも成功しただろうといわれるバブル期の
絶頂期を体験しました。

まさに血がにじむような忙しさを味わいました。
そして縁のある社員さんたちと喜びを
共有しました。
今考えてみますと、もしあのままずっとこの国が
幻のような繁栄を続けていたら、この肉体は
今頃はボロボロで、今回の人生を終えていたのかもしれないと、
おぼろげに感じさせます。
何がきっかけとなったのか。
それは娘の心の病と言っていいと思います。
今年三回忌を迎えますが、今でももちろん何度か
この幻の世に登場して語りかけてきます。
「お父さん ありがとね・・・・。私ねお父さんのこと・・・・」
「もう疲れた・・・・・」
亡くなる数日前の二人だけのときの会話・・・。
思い出すといつも泣けてきます。
夜の冬の空に輝く月や金星を見ながら、
こちらもお礼を言っています。
おまえがいなかったら、もう今回は終わっていたのだから、
おまえのおかげで生かされているよと、御礼するのです。
「人間は何のために生きているんだろう。」
大きな疑問が、層の異なった人生へと導きました。
潜在能力の開発セミナーももちろん影響を与えました。
そのセミナー受講のおかげで「積極」が一番大切と腑に落ちました。
自分のそれまでにこびりついた固い硬い自我が少しずつ
粉砕されていきました。
不思議な絵を描く方がいる。と大先輩から紹介されて
その層の異なる人生は回り始めました。
「天にありては 白々の雪 中空にありては瑞雲のくも
地天にありては 身を立てる」
いまだに身は立ってはいませんが、確かにこの世に生まれさせて
いただいて、もっともわくわくする今生の役目を言い当てられました。
御天画と呼ばれる絵と文字をおろされるNご夫妻でした。
その絵に剣山が描かれていました。
「剣山」は四国の山です。「失われたアーク」の伝説で有名です。
それでもその頃そのような知識も体験もまったくなかったので、
「何故剣山ですか。?」と思わずたずねてしまいました。
Nさんの御返事は「いずれわかりますから。」だけです。
そして今生のわくわくする御役目は「タグボート」です。
ようするに港に入った大きな船を案内する「水先案内人」です。
ワクワクする人やことを、他の方に案内する役。
平成5年  1993年 この名古屋のあたりでも
今の草分けのような動きが出ていました。
儲かることには前に出るが、儲からないことには後ずさり。
当時こんな日本人が多い中で、人間の真の生き方を求める
人々が講演会を開催し、多くの方が次第に目を開かれていったのです。
お天画を書いていただいたことをきっかけに
目前の現実がめまぐるしい動きを見せていきました。
そしてさまざまな新しいお人に出会うことになります。
一番新しい個人御天画
天画160217.jpg
個人の意識にあるものが絵に投影されます。
結局は個人の意識が最大のエネルギーで
実現の母でもあります。
混沌とした時代に、個人の行動を促す強い確信を
得させ、背中を押してくださるかのような絵でもあります。