随想 伊路波村から122〜巡る

映画「不都合な真実」を見た。

想いだした。
その昔になってしまった高木善之さんの
環境に関する多くのお話を拝聴する機会を
持った日々のこと。

それでも、次第に環境をウンヌンする
傲慢さにウンザリしてしまったじぶんの心を知った。

「不都合な真実」はまったくそのとおりなのだが、
その映画を配給し多くの人々に見せようとする
裏がわの意図に心がいってしまうのは何故なのだろう。

どのようなことも私達の選択の結果。
全人類の選択の結果だからと、善悪をこえた
必然に心を致す。

経済と環境は相反するのか。
人類が増えれば増えるほど、自然の環境は
変化し私達を生き難くする。

しかし人類の増加を止めることはできない。
大きな津波が幾十万の生命を奪った。
これから一挙に、何百何千万という生命が
消えるという必然を体験する、選択の人類の
一人になるのだろうか。

自然はそれ自体が自然生命と聞いた。
「巡る」、「回転する」がもし経済の本流だとしたら、
価値の大小は問題ではないのだろう。

ただ循環が大切なら、その循環の中で
私達が体験し意識することによって
得るエネルギーがどこかを加減するのかも知れない。

介護は何も生み出さないかのようで、
循環には貢献する。
医療も戦争も同じこと。
マイナスにみえても、循環には同じこと。
それだけどこかで建設があり。
健康を謳歌する人々のエネルギーが沸き立つ。

過去類を見ない人類の人口爆発と
CO2の増加。

故糸川博士は言った。
「未来の人類生存のためのヒントはゲーテのファウストにある。」

さて・・・・・・。
猿の惑星。
琵琶湖の沖積層。
奇跡の体験。
無限膨張の光よ。
全一の世界よ。

無、空よ。