随想 伊路波村から119〜伝える

文、手紙、ハガキは昔から
ことやものを伝える道具だった。

人間の意志を伝えることがこのような
道具のみで成り立っていた頃は実に
ゆったりとした時間が流れていたことだろう。

印刷ということが可能になって、
ものやことは一度に多くの人々に
知らせることができるようになった。
そして多くの人々の感化が進んで、
同一化のスピードは飛躍的に速くなった。

電話ができ、肉声で感情や意志を伝えることが
できるようになった。
距離はまさに0となった。

そしてラジオやテレビの発達が、
時間や空間の壁をこえさせた。
その一方大衆を管理誘導することも
統治する側にとっては容易になったのだ。

携帯電話が登場し、当時のツーカーセルラーの
代理店001の番号をいただいた時、
携帯の限りない発展を予測した。

それは時間や空間を越えて、まさしく個性に
一直線に行ける魅力が人間を大きな力で
引き寄せることだろうと予想したからであった。

しかしながら携帯の加速度的普及期に
、直感から突然に代理店を辞してしまった。
ただの直感からだった。
なんだか今はホッとしている。(笑)

そして現在はメールが全盛である。
メールは個性の尊重を考慮した
陰の肉声となった。

個性を無視したおしつけメールも多くなったことは
そのようなとても個人にとって嬉しいメールという
機能の影の部分なのだろうか。

ご縁ある人々とのコミュニケーションが
より多くそして早くできることを可能にした
ケイタイの機能。

人間は一人では生きられない。
暖かい心のぬくもりをどんな人でも
求めているのかも知れない。

「一通でも多く便りを書こう。
返事はなるべく出すことにしよう。」

偉人のことばは、メール時代に
どのように人々の心に響くのだろうか。