随想 伊路波村から86~日本人のこころ~ 041109

日本人のこころ ~五木寛之さんのお話から~

名古屋商工会議所創立120周年記念講演会。
作家の五木寛之さんが講演者だった。
500人の聴衆の前から3分の1程の真ん中に座った。
聴衆はほとんどが今を生きる経営者の男性の方たち。
後頭部がかなり薄くなっていて、まるでお月様がいっぱいのようだった。
チラホラと五木ファンの女性がみえる。
「蓮如」「大河の一滴」等で、現在話題の五木さん。
最近は、お寺とか、集会所でもお話しをされるらしい。
以前とはとても変化しているようだった。

演題は、「日本人のこころ」。近著と題名が同じだ。
四日市のUさんが、「五木さんのお話いいですよ。」と言ってみえた。
それだけに、久しぶりの講演会に心が躍っている。

お話しは、経済状況に苦しむ経営者という戦士にとって、
おそらく、ずっしりと重いものだったろう。
「暗愁」という明治以来、昭和初期の永井荷風まで、
頻繁にもてはやされたこの日本語。今は、死語となっている。

人は、誰でもがいいようのないやるせなさにいつか襲われる。
こつこつと働いて、2~3の工場を持つ立派な経営者。
美しい妻とかわいい子供たち。そして恵まれた生活と、
経営者としての自信に溢れている。何も不満がない。
「幸せだなあ俺は。」と日々思っていたこの経営者が
ある朝突然にこの「暗愁」という暗い虫に襲われる。

あんなに美しいと思っていた妻を見て、何故こんな女と一緒にいるんだろう。
子供たちなんかちっとも可愛くない。ウルサイだけだ。
この豊かさなんか一体何の意味があるんだ。

自分が信じて歩いてきた道のすべてのものが
意味なく思われるこの「暗い虫」。
人間はだれでもいつかはこの「暗い虫」に襲われる・・・。

ここまで聴いて、左斜め前の女性が泣き崩れた。
共感がこちらの胸にも伝わる。
まさに現状の人たちをやさしく包み込むかのような言葉だ。

韓国の言葉に、「恨息」(ハンスン)という言葉があるらしい。
「恨」とは、世にいう恨みという意味ではない。
それぞれの国のもつ歴史。そして、祖先のすべての想いが「恨」。
それをフーッと吐くため息。それが、「恨息」(ハンスン)。

「暗い虫」に襲われて、「暗愁」の気になったら、
何も思わず力を抜いて、「恨息」するがいい。
私たちには、誰でもそんな時があるのだから。
そんな時、もがくのはやめよう。と五木さんはおっしゃった。

日本は、現在のデフレも経済危機も同じようなことを歴史上で経験し、
いずれの時も乗り越えてきた。
ただ、歴史上経験のない現象が現在、ひとつあらわれている。
それは、年間3万3000人という自殺者がいるという事実だ。
交通事故死者10000人弱。
あの15年間におよぶベトナム戦争の米兵の死者数が、
5万人強。それに比べて、3万3000人という自殺者を何戦争と呼んだらいいのか。

五木さんの知人の若い方が、ある日五木邸を訪れた。
「先生。僕、いったいどうなるんだろう。今の社会はどうなるんだろう。」と語り、
東京の中央線での車中のできごとの話となった。

電車はゴトンという音をして、停車した。
しばらくして、車内アナウンス。
「事故のため、現在停車しておりますが、只今上半身を除去しました。
下半身の除去が済むまで、今しばらくお待ちください。」

アナウンスを聴いて、車内のほとんどの人が一斉に同じ行動をとった。
みんな腕時計をみたのである。
そういう自分も確かに腕時計をみていた。
あとで、そのことに気づいた。そして思った。
「俺はいったい何なんだ。自殺者のことを祈ることもなく。
日常の普通のこととして、みんなと同じように何ごともないような行動をとる。
この日本社会は何なんだ。日本人のこころはどこへいってしまったんだろう。」

若者の心はまだ救われるだろう。そして日本人のこころをこの彼が、
まだ持っていることに安らいだと五木さんは話された。

阪神大震災で日本人は物のはかなさを知った。
サリン事件で、宗教や心の脆さを知った。どちらにもいけない不安感の中、
世の中は「情報」という新しい夢を持った。

五木さんの語る「情報」とは決して世にいう計数、形、宣伝ではない。

それは情報のほんの一部にすぎない。

万葉時代。「情」という字を「こころ」と呼んだ。
新しい時代の「情報」とはすなわち、「情を報ずること」。
こころを伝えることだという。私たちは、こころを伝えあいながら、
新しい時代を切り開く時期に来ていると結ばれた。

思わず「そうだ!」と立ちそうになった自分がいた。
五木さんのお話を多くの方が聴くことができますように祈りを込めて。