2016年ですから二年前の三月1日に飯島さんは肉体を脱ぎました。飯島さんにお会いできたきっかけは23年前のこと。それはある日本国民の再生を考える学習グループの卒業海外研修旅行でした。
所属する1グループでは目的地をイスラエルかボリビアかの選択となりました。そして多数決でボリビアに行くことになりました。目的はボリビアに住む日本社会の方々、主に沖縄出身の人々やボリビヤの人々との意識の繋がったネットワークを築くことでした。サンタクルスというボリビア第二の都市への訪問でした。
決定を受けて、かねてより着想していた長野県清里に住む知花敏彦先生を同士とともにご訪問しました。そしてボリビアの人々への橋渡しをお願いしました。先生にはご快諾をいただきました。
その当時、主にボリビア旅行のお世話をしていた旅行社がありました。横浜の旅行社でした。そこの社長さんが知花先生の弟さんでした。研修旅行の打ち合わせに横浜に出かけました。
その打ち合わせの日に始めて飯島さんにお会いできました。求道者特有の清らかな振動を飯島さんに感じました。この日から始まって途中三年間のブランクをはさみながら、20年間の密なお付き合いができたことは、こちらの人生にとってかけがえのないご縁と思わせていただいてます。
さて日本再生をうたい、心の繋がったネットワークの構築をめざすその学習のグループはそのころまだパソコンの画面が真っ黒でC>としか現れず、メールもパソコン通信といってみんながメールの溜まった場所に引き取りにいく必要がありました。そんなころからその学習グループは産業革命の次は「情報革命」と位置づけていました。そしてその情報革命の道具はPCでした。いわゆる端末です。
まだウィンドウズもパソコンで画面に出現しない頃のこと。ましてや今のようにスマホがあって、誰でもどこでもどんな情報でも手中にできるユビキタス(神はどこにでも遍満する)時代がくるなんて思いもよらぬ頃のことでした。
現在そのスマホ普及率は80%を超えました。20~30代の方々では90%を超えています。20年前のスーパーコンピューターの10数倍を越える能力のスマホスパコンをみんなが手にいつでも携えている時代となりました。
学習グループの話に戻ります。戦後のこの国は国民としての意識が弱まった状態に、何らかの力によってされてきた感を受けます。だが多くの人がそのことに気づかず、経済の根本である「経世済民」でなくお金優先の意識の日本人になってしまいました。そんな学習者に主宰者は「心のつながり」を思い出せと語りかけました。主宰者の強いしっかりとした言葉でした。
情報をなるべく多く握るものが支配層とか経営層とか幹部層とか言われました。しかしもうこの情報時代では情報を多くつかむかどうかはその人個人の問題になりました。そしてその情報を識別する能力は相変わらず個々の認識によります。ただだれでも意識があれば情報の取得量は差が無くなって、支配層の存在する意味が薄れてきました。この国の人々が3S政策によって知らされず、被占領国家の国民として洗脳されてきた事実すら今は明らかになって、誰でもがその事実に気づくようになりました。
もうひとつは貨幣です。貨幣を発行するものが国を支配する。もちろん国家としての信用が大前提ですが、一つの国に関しては真実といえます。
さらにはエネルギーです。エネルギーを支配するものは国を支配します。間違えると原子力のように国の一部の地域が住めなくなることが起きますが。火を燃やしガスを燃やしダム水力でタービンを回します。そこに電線にぶら下がった太陽光や風力のような再生可能電気エネルギーが加わって、今や原発事故前の電気エネルギーを超えるほどの量となったようです。
貨幣発行権とエネルギーの自立分散化。この二つは21世紀の次世代を形作る大きなキーワードと感じていました。ボリビア旅行を終えてさまざまなご縁をいただいて、海外卒業研修旅行は無事に終了しました。
次に学習グループは今のアマゾン、ヤフー、楽天に代表される物品のネットワーク販売を目指しました。そのためのネットワークコンピューターの開発に入っていました。意識のつなっがったネットワークによる良品のネット販売が目標でした。ネット販売のはしりとなりました。
最初はパソコンを使ったウインドウズ3.1の利用ネットワークでのカラー画面のネット販売が始まりました。少しずつ販売品も増えて珍しさも手伝ってお客様もしだいに増えてきていました。ところが突然に中止となりました。またネットワークコンピューターの開発も進展しないまま立ち消えのようでした。
もともと物品の販売が目的ではなく、ご縁の人たちによる意識の繋がったネットワーク作りが目的で、その中からよい品物をお互いに提供できるネット販売ができてきただけで、まだまだ意識の改革の途上にありました。
そんな頃インターネット電話で通話を無料にしようというインターネット電話のシステム業者とのタイアップが始まりました。結果的にそれはIP電話の登場とともに崩れていきました。ただ同志の連携は続いていました。さまざまな試行が実践されましたがどれも革新的な軸にはならず、主宰者の目標が見えなくなってきていました。
東京での主宰者の講演会の合間に主宰者の方と一対一でお話ができました。その少しの講演会の合間の時間のために東京ビッグサイトに出向いたのでした。
今後の目標はなんでしょうか、の質問に。
彼は「銀行」です。
と答えました。当時イギリスのHSBCとの関連で民間で金融を開始する銀行事業にみんなで進んでいくとの答えだったのです。
その短い会談の後、長くお世話になったその学習の本部との別れを決断しました。こちらの考えとの大きな差を感じたのです。
その後22年が経過しました。その間名古屋関係やボリビヤ関係の同志とともにやはりさまざまな活動を模索しましたが道が見えず、少しずつ環境や健康に関する飯島さんの開発品や考え方を紹介することを続けていました。そしてこの七年間はモーターの研究も同時に行ってきました。
昨年の暮れからしきりに通貨についてもっと勉強しなくてはという思いが湧き上がってきました。それでブロックチェーンという金融技術を使っているといわれる仮想通貨の学びをこの春までしてきて、現在に至っています。
以前学習の主宰者の方から「目標は銀行です。」といわれて、あまりにも目標にギャップがあってお別れしました。しかし彼の言う銀行とは民本の銀行で、まさにこれから始まるかもしれない仮想通貨の時代には草の根の民主主義の百花繚乱の時代がくることをすでに20年前に見越していたといえるかもしれないのです。今の投機的な仮想通貨の旋風が収まり、通貨発行権が民主分散されるときに真の心のネットワークの経世済民が達成されるのでしょうか。
そして向かうはエネルギーの自立分散化です。この情報、通貨、エネルギーの三つの自立分散化が達成されるときに日本は世界の見本として世界に多くの情報を提供することができる唯一の国といえると感じるのです。
やまとごごろの発露となるのでしょう。
これからも素晴らしい世の中となる気がしています。