魂のゆらぎ 5 ~ バラマハンサヨガナンダ 「人間の永遠の探究」

山田さんこの本はお持ちですか?
ないようでしたら是非読んでください。と
Yさんからです。

「人間の永遠の探究」57の講話集です。

それですぐに購入させていただいて読み始めました。

一行もおろそかにできない内容です。

その第13講から

「隣人を自分のように愛する」にはー

普通の人は、このように他人を愛することはできません。
「わたしが」とか「わたしに」とか「わたしの」といった
自己中心的な自我意識のために、自分や他人の中にあまねく
内在したもう神を、まだ見たことがないからです。私にとっては、
だれもみな同じに見えます。だれもが唯一の神を反映する魂として
見えます。私は、誰を見ても他人とは思えません。なぜならすべての人が
唯一の存在である 神の一部として見えるからです。あなたも、
宗教の本来の目的である神との霊交を体験すれば、神こそ真のあなた
自身であり、神がすべてのものの中に平等に内在していることが
わかるでしょう。そのときあなたは、ほんとうに他人を
自分自身として愛することができるようになるのです。。

読み進むうちに変なイメージ図が湧いてきました。
バラマンサヨガナンダの言葉の中からもしかして
世界はこんなんじゃないだろうかと。

それは昨年の暮れに飲み会の帰途、後ろから友人が
撮影してくださった一枚の写真

この写真に写ったすべて山田家の故人となった父、娘、母の
白く映ったお顔をどのように判断したらよいかとの疑問があったのです。

ヨガナンダは言いました。

人間は35の要素ををもつ観念体を持ち、そのうちの
16の要素が肉体を構成する。そしてその肉体と同じ
形をとりすっぽりと肉体に納まる幽体は19の要素で構成される。
つまり肉体、幽体、観念体、さらに個々の魂がある、と。

湧いてきました。魂は個性をもつ個々の人の神の光であり、
その奥の奥にある根源こそがたった一つの生命だと。

さらにヨガナンダは、幽体は幽霊ともいわれ幽界にいる。
幽霊界ともいえる。肉体が無くなっても幽体はある。だが
肉体を持つ人間とは交わることは出来ず、互いに存在を感ずる
こともない。人間が肉体の死をむかえたあとは幽界に存在し、
肉体と同じように観念体の5個の要素である地水火風空により
5つの感覚は同じように持ち続ける。だから夢の中の感覚は
幽体の感覚でありながら肉体と同じように感ずるのです。

この世界は、眼に見えない霊的存在によって支配されていて、
それは肉体、物質界、幽体、幽霊界、、観念体、観念界に分化した
それらの元である聖霊であるオーム(アーメン)を含め7つです。

もしそうだとしたら、写真の家族は霊体として映ったと考えられます。

この10月13日の日曜日お祭りの山車を六反学区へと
巡行する道すがら、おそらく車に引かれたのであろう猫の
死骸がタオルをかけられて道端に丁寧におかれていました。
日曜のこととて死骸処理が出来なかったのでしょう。

あまりのことに思わず死骸に手を合わせました。
するとそのすぐ直後に左胸にすごい痛みが来ました。
すぐに「ここは君の来るところではない!」と
心の声で反応しました。
痛みはその時だけで済みました。

もしかして動物の霊体が、よく人間にも聞かれる憑依と
いう現象で隙を見せる弱い人にとりつくようなことは
本当にあるのだろうとの確信が生まれました。

そんなことがあるお祭りの少し前人間にも動物にも
完全な癒しに導くことが出来る無償の癒し方法である
「ヒーリングコード」という耳慣れないお話が目の前に
訪れようとは思ってもいませんでした。

それは次代の扉を開くかもしれない納得の方法でした。

       つづく・・