出会った人々 2~三重県津 赤塚高仁様

1995年には大変に多くの方々とのご縁を
いただいています。

津の赤塚高仁様もそのお一人です。
当時三重県津市で赤塚建設の社長さんでした。
今はイスラエルへの旅や、全国を「聖書漫談」という
演題で駆け回ってみえます。
随分とお人に知られる方になりました。

ご著書「蝸牛(かたつむり)が飛んだ時」を拝読し
是非この方のお話をお聞きし、できれば当時の
商工会議所の仲間に聞いていただきたいと感じました。
実はこの著書は、仕入先社長とN様の友人K様との
共著であり、N様にすごい本だよ!とご紹介を受けたのです。

そのご本の中に長崎川棚の「あんでるせん」のことが
書いてあり、以来27年の間に19回行くことに
なりました。運命とご縁のつながりの深さを感じました。

津の事務所を訪問しお話をお聞きしました。
当時はこちらも若かったのですが彼はもっとお若いのに
すでに何かに達してみえる、と直感しました。

沢山の質問にスラスラとよどみなくお答えになります。
今注目の本は?という質問には
「道(タオ)」とお答えでした。
老荘思想です。

そして赤塚様との出会いは彼の師、ロケット博士の異名をとる
糸川秀夫博士との邂逅に繋がっていきます。

大きく人生の道を広げてくださった赤塚様に
感謝で一杯です。

随想 伊路波村から96~シャローム イスラエル

ある日曜日、「シャローム イスラエル」という
イベントに出かけた。

内容はただ現在の駐日イスラエル大使による
「ユダヤ魂と武士道」という講演があることだけが
わかっていた。

その4日ほど前、三重県津市の赤塚高仁さんから
参加勧誘のメールが届いていた。
めずらしいなあと感じながら、すぐに
参加のメールを打っていた。

そのころは、他の方の講演をお聞きすることはほとんど
なくなっていたのだが、何故だか参加したくなったのだ。

それでまた伊路波村のイベント紹介にも
掲載させていただいた。
伊路波村びと5名が参加となった。

だいたいイスラエルと聞いただけで、
少しならず身を退く人が多い中で、
めずらしい人たち。

名古屋の繁華街、今池の「ガスホール」が会場だった。
午後2時の開演少し前に会場に到着。
赤塚さんが受け付けの一番先頭で
待ち受けてみえる。
おひさしぶり握手。

住所氏名を参加用紙に記入する。
所属はテクニオン協会。
現会長は赤塚さんで、故糸川英夫博士
ゆかりのイスラエルと日本友好の会の名前だ。

6年ほど前に糸川博士の遺骨とともに、イスラエル初代
首相のデビッドベングリオンさんのお墓に
お参りしたのである。
糸川さんもベングリオンさんもほとんど知らなかったのに。
その時しかたなく(?)会員を名乗ったわけでの記入。
さすがに駐日大使の登場とあって、
金属探知機のゲートで厳重チェック。
そして会場内へ。

会場はほぼ満員。
和服姿の女性も多い。
すいていそうな後方の席をさがしてウロウロ。
そこで卒論ゼミの恩師を見つけ絶句する。
えーーーーなんで。?

もう恩師と教え子の境などない。
先生は確か72ー3歳か、
こちらは56歳。
こんな年になったら友達みたい。

固い握手をかわして、先生の前の席に座る。
すぐに会は挨拶から始まったので先生とは
それ以上お話できず。

両国の国歌斉唱。
イスラエルメロディーのピアノ演奏。
アコーディオン演奏と続く。
なんだかお隣のお2人はすでに
はなをクシュクシュさせている。(?)

マイムマイムなどおなじみのフォークダンス曲が続く。
イスラエルの国歌と日本の国歌のみが短調の国歌と
聞いていた。なんとなくもの哀しい曲が多い。

そしてイスラエルの唄の独唱女性が登場。
「ユーカリの花」が最初の曲。
司会の方が歌の前に、歌の説明をされるが、
まったく頭にはいらない。
歌が始まった。

じっとヘブライ語の歌を聴く。
またその旋律に響いているいのちを感じる。

「母が ここに 来た時 美しく そして若かった

それで 父は 丘の上に 彼女のために 家を建てた

春は 幾度も巡り 半世紀が過ぎた
そしてその間に 巻き毛も 白髪に変わった

しかし ヨルダン川の岸辺では  なにも起こらなかったようだ

同じ静けさ そしてまた 同じ景色

あおの ユーカリーの林 

あの船 あの橋 

そして香り 

水の上に ぜにあおいの  」

あと2曲あったのだが ほとんど行ってしまっていた。(笑)

映画上映が続く。

1948年5月14日 イスラエルは2000年近くの
流浪の民に終止符を打ち建国する。
分割されたイスラエルとアラブの分離はここから始まった。

国土の殆どが砂漠(地漠)のイスラエルは半世紀をかけ、
すこしずつ緑の国にへと変化を遂げた。
砂漠の農場や養魚場。
植林やクロレラ栽培。

イスラエルの叡智は過酷な国土さえ
変化させる力を持っていた。
そのことにもっとも力を与えたのはベングリオンさん。

デヴィッド ベングリオンさんの高台にあるお墓から
荒野を望む時、今も続くイスラエルの哀しみと
希望を感じない者はいないかも知れない。

休憩 講演と続き、散会。
先生に息子や友人を紹介。
クリスチャンである先生は、主催者の方から
お誘いを受けたから、おいでになったようだった。
「幕やの人も含め、世界中の人々がキリスト教に
なれば世界に平和が訪れますよ。」

いろんな考え方があるものだ。
先生はご健在だ。

古希のすこし前に奥様を亡くされたと聞いていたが、
「最近 ご縁で恋人ができまして それで今年
紹介もかねて 集いをします。」
凄いぞ先生。!!

怒ったお姿を、見たことが無いのです。

シャロームは「平和」

エルサレムは「平安」

イスラエルは「神との戦い」

赤塚高仁さん ユーチューブに・・