人生では自分ではどうにもならないことがあります。
自分が何もしていないのに、意地悪ばっかりする人に
毎日会わなければならない。
どんなに理由を考えてみても、自分にはみあたらない。
まったくそりが合わない人と、一緒に毎日仕事を
しなくてはならない。
悪事を働いていることが分かっていても
その人はやめようとはしない。
その人に言う事も出来ない。
心がしおれてしまう。
そのようなご縁でも結局は何時の時か
自分が出した意識が返ってきたと考えると、
確かにすべてを受容しなくてはならないことも
明らかです。
イエスは姦淫した女を前に言いました。
「家に帰りなさい」
「今後はもうしないように」
恥ずかしい話ですが建築関係の仕事を
40年間した間に、そのお方の癖なのか
横領を繰り返す社員さんが二人みえました。
一人目は集金したお金をごまかすことを
しました。
わかった時に
「大丈夫です。もうしないように。」と言いました。
しかしその方は二度三度と同じことを繰り返します。
三度目が分かった時に、会社を辞めてもらうことにしました。
もう御一方は大きなお金を横領していて、ご自分の
趣味に大金をつぎ込んでいました。
やはり二度目です。
仕事は努力家で懸命にされる方でした。
この方の場合は自分が会社の印まで預けていたので、
まさしく実の母の「判子はあずけるな」の戒めを
破った自分の罪と深く思いました。
反省です。
このことが発覚したあと40年間の事業を閉めようと
決意が固まりました。
ですから新しい道を切り拓いてくださったのは
この方のお陰とも思っています。
決意のきっかけを下さったのです。
そのまま同じ仕事を続けていたらおそらく
身体はズタズタでお金にも苦労する経営となっていたはず。
だから変ですが恩人です。
自分はしていないのに周りがそのような悪事を
して何とも身動きが取れない場合には、
そのお人から離れることで解決するしかない
ように思うのです。
おそらくその方たちの今生背負った業とも
いえるのでしょう。
結局は同じことを幾度も繰り返すのです。
人には善をとかず、悪事をも赦す。
このことがどれだけこれからもできるのか
小さい自分には難題ですが、できるだけ
人には優しくしたいと思います。
主は語ります。
「復讐するは我にあり」
(復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた)
新約聖書「ローマ人への手紙」から。
悪者には神様が復讐してくれるから、
人は愛と忍耐に生きるべきだ、
というキリストの教えです。
天地人
天知る 地知る 人も知る
大罪を犯すものは していることが分かった時の
自分人生への影響の大きさを身に沁みて感じ。
なしたことの恐ろしさを悟るのです。