「他人がいるという意識は個我
自分しかいないという意識は全我」
いよいよIさん懐古の最終の言葉となりました。
今までこのお言葉をお聞きしたのは三人の方です。
もちろんIさん。そして故人であるチャイルドアカデミーの
七田真さんとありがとうおじさんであるMさんです。
Mさんは個人名を徹底的に伏せて常に
自分が全我であることを、「ありがとうおじさん」という
役割そのものの名で体現されていました。
ありがとうおじさんとやはり故人である小林正観さんとの対談に
ありがとう村で同席させていただいた折、
ありがとうおじさんは正観さんの本名を本に書いてもいいですか?
との問いに30分以上も拒否し続けました。
そしてついに正観さんのご著書に本名が書かれることは
ありませんでした。
お話は変わります。もう17年ほど前になりますが、
名古屋市の西区に在住のあるお一人のご老人が
おいででした。
そお方は90歳を超えた御年の方でした。
仲間でそのご老人を訪問し、5~6時間お話を
うかがいました。
その長い時間を聴く人たちを、飽きもさせずに次から次へと
大変に興味あるお言葉をいただきました。
故人となった方ばかりのことですが、大橋巨泉さんという
テレビとかで有名な方がみえました。
その方がこのご老人を訪問された時に、
「君はウシシという言葉をテレビで使うといいよ。」と言われ、
巨泉さんは11PMという番組で「ウシシ」という言葉を
お口に右手を当てながらつぶやいて大ヒットとなりました。
「牛死」の代え言葉なんですが。(笑)
このご老人のお話の根幹はたったひとつの
ことでした。
そのことを長いお時間を使って私たちに語ってくださいました。
それは決して口に出してはいけない言葉「私」について
でした。「私」とは真の意味として「忌み嫌うもの」
「尿」などの意味があるとおっしゃいました。
それよりなによりご老人は「私」といえば「個我」
ですから誰でも真の存在は「全我」で元は一つの
根源なのだから「私」という言葉は使ってはならないと
おっしゃたのでしょうか。
「私」といったとたんに、あなたと私は違うんだ、
私とあなたは分離しているんだと宣言しているようなものです。
「人生の目的は分離感をなくすこと」
このおおきな命題を背負って人はこの世に
現れます。
「あなたは私」「私はすべて」
ですから分離感を強化する「私」を日常の
言葉から排除することが大切なのでしょうか。
そういえばさまざまなお方のご著書の中で
読書中や読後感がさわやかなご本には
「私」という言葉がないか、またはとても少ないことに
気が付いています。
人は知らず分離感はなく、すべては全我なんだと
身に染みてわかっているのかもしれませんね。
また「あんでるせん」とか、予約が必要で電話が
長い間繋がらないのですが、電話をかけ続けることが
できるのは「みんなのために」だからでしょうか。
これが「自分」だけのためにだったら、きっと
やめてしまいます。
それほど「全我感」は強いエネルギーを持続させることが
できるようです。
「あなたが神によって創造されたことだけが
決して揺らぐことなき唯一の土台」
Iさんは今生で知花さんに出会いました。
出会うことになっていたのでしょう。
その出会いのお導きは奥様でした。
すべての出会いは必然的に今生のプログラムなの
でしょうか。
「一番進歩するのは偉大な師になる人ではなく
偉大な弟子になる人」
そんなお人だとIさんを感じます。
溢れるばかりの愛をいただいたIさんとのご縁と
22年間というこの世の時間に深い感謝を
捧げています。
「人はひとりでは癒されない」
信じている、いないに関わらず、
あなたは神であり完全であり無限です。
「他人がいるという意識は個我
自分しかいないという意識は全我」
ありがとうございました。