2849「欲張りな人間」2022.10.14 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年10月07日「欲張りな人間」と2022年10月10「宇宙神の願い」の2つの記事を紹介します。

「欲張りな人間」

人間は弱いので、何か困ったことが起きたり、苦境に立たされれば

・神様仏様に頼ったり

・高額な詐欺に付け込まれたり

・お金に糸目もつけず、「力があるぞ」と宣伝する人に頼ったり

とにかく

・自分ではなく

・自分の内にいらっしゃる神さまではなく

自分以外の外にある、他人や、物に頼り願いや欲望を満たそうとします。

でもそれは仕方のないことです。

しかし、その欲には限りがなく、いつの間にか頼った相手に心理的に依存し、

また頼られた相手は無意識の内に支配しようとします。

支配-依存の 関係が生まれます。

この両者は、全く別物に見えますが、自分の発している波長が同じであるために同調して、いつの間にか引き寄せられていきます。

両者は、波長が同じで、波長の山であるか? 谷であるかの違いだけです。

この関係が長く続き、強化されてくると、ますます心の中に広がる黒い闇に気づけません。

ご利益を求め、殺到する参拝者

頼られたものは・・

集まり、うなるお金

何時しか、神様に対する崇敬の念を忘れ

自我の心が、極端にまで拡大し

神の力を、己の力と誤解する人々

神々は、そんな人間臭いドラマを

どのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか?

・願い事が叶います

・商売が繁盛します

・病気が治ります

・学校に受かります

そう喧伝されれば、

藁にもすがりたい私たちは、いっぺんに飛びつくことでしょう。

もしかしたら、見えない何者かの力によって

一時は、願いがかなったかに思える時期もあるかもしれません。

ですが、それも長続きはしないでしょう。

しばらくすれば、また同じ苦しみを味わうことでしょう。

ですが、私たちのそのような状況でさえ、

私たちが生まれてくる前に、自分で設定してきた状況であり、人のせいではありません。

何故、そのようなことをあえて自分で仕込んできたかと言えば

・その悩み苦しむ時期と、

・外の力に頼る時期と

・結局はそれがうまくいかない

ことを経験することで、

・私たちの魂が学習し、磨かれ、

・より一層 輝きを増し

・神々に近づけるからです。

それなのに、その貴重な経験を、苦しいから嫌だからと、

お金をかけ、人に頼り、すっとばし、一瞬だけ状況を変えてもらっても、

私たちの心はちっとも変わらず輝きもせず、

かえって依存の心が、闇のように広がり、

氣枯れたもの(神さまの純粋な気が覆われてしまったもの)に魂が覆われてしまうことでしょう。

それは、魂の視点

神々の視点から見て

道を外れているからです。

神様は、私たちの魂を輝かせるために

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

神々のなさる奇跡とは華々しいサーカスのように、

人々を驚かせ、一瞬のうちに私たちを救い出してくれる・・・

そういった安直なものではないと思うのです。

奇跡とは、

私たちが、例え苦しい環境に置かれていようと、自分の置かれた立場で、一所懸命前向きに

周りや神々に感謝しながら、笑顔で、しっかりと生きていくこと。

そして日々の平凡な生活のうちに自分や、身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、

そして、それを感じ取った自分、

自分の中の神様に気づいた時、

神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・

そうお思いお喜びになるのかもしれません。

人々の耳目を集める

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

自分の心の中に 神々を見つける奇跡には敵いません。

神様は、私たちの魂を輝かせるために

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

私達の魂の誕生の時に頂いた神様の心。

・その心を清らかにしておくこと

・自らの足で立とうとすること。。

それ以上に、この人生に奇跡を起こす術はありません。

「宇宙神の願い」

昨日は、ここ長岡市の宝徳山稲荷大社に「お礼参り」に伺ってきました。

大きな大きな願いがかなったからです。

七五三で、小さなかわいい子供たちで賑わっていました。

さて毎年11月2,3日(祝日)はここ宝徳様で、神幸祭と呼ばれる夜祭り、ローソク祭りが行われます。

赤いローソクに願い事を書き奉納することで、願いが聞き届けられると言われています。

奉納されたローソクが点火されたところ。

願い事が本当に叶うのかと言われれば、私だけに限って言えば、過去全て YESでした。

この日は全国から人が集まります。

その数は数千人かと思いますが、ここ数年は数が減ってきているようです。

最近は雨の年が続き、一部で有名になった「火の鳥」の出現数がかなり減っているのも影響しているかもしれません。

またこの日は火の鳥だけでなく、UFOも目撃されることが多いようです。

私も地元ですので、火の鳥、UFOともに目にしています。

但し、火の鳥は物理的な人間の目に見える波長で現れます。

UFOは少し人間の可視光線の領域からずれた波長領域で現れます。

従ってほとんどの方は見えません。

火の鳥やUFOが出現するのはこの夜だけで、翌日にはもう出現しません。

火の鳥は、あえて人間の可視光線の領域で現れ、上空を飛びますから、どなたにも見えます。

但し、近視などの方はメガネなどが必要です。

このことから分かる通り、火の鳥は、わざわざ万人が見える波長領域で出現します。

雨が降る年は、火の鳥の目撃は極端に減るのですが、

これは、下記のような理由ではないかと個人的には思います。(あくまで私個人の推論です)

この日 夜7時半くらいから 数万本のローソクが点火されます。

ローソクの成分は C(炭素) H(水素) O(酸素) であるので、

燃やすと二酸化炭素と水蒸気が上空に発生します。

数万本ですから、相当な水蒸気が一定の範囲の上空に発生していると思われます。

この水蒸気は、光を反射するので、

水蒸気スクリーンとして人の目に見える映像を投影することが可能です。

つまり、普通の人々に物理的に見える形になります。

水蒸気スクリーンの例

例えば、「Displair」という表示技術は、水蒸気を霧のように吹き出し、

噴き出した霧をスクリーンの代わりとして映像を投影する方法を採用しているそうです。

ですので、適度の水蒸気であれば映像投影が可能ですが、

雨が降っていると空中では、水蒸気と同時に水の粒子も沢山存在することになり

スクリーンとして役に立たず、映像を投影することができないのではないかと思います。

たぶん、これが雨の日に火の鳥の出現が極端に少ない理由ではないかと考えられます。

火の鳥の出現は、そこにいる人全員に見せるために行われているわけなので、霊視ができる云々ではなく、上記のように、物理的な手段で可視領域の光にする必要があります。

これを意図してやっているのが、

当日飛来しているUFOなどに代表される、地球外知的生命体ではないかと思われます。

※上記はあくまで推論です。眉に唾を付けて読まれてください。

宝徳山稲荷大社の起源は縄文時代までさかのぼると言われています。

 宝徳様の神々が降り立った場所と言われる石碑(奥宮)
宝徳様のご祭神は下記の3柱です。

・天照白菊宝徳稲荷大神  あまてらすしらぎくほうとくいなりのおおかみ

 人間のしあわせを司る神

 五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・身体健全・良縁拝受・安産息災等、衣・食・住、人間のしあわせを守る神様です。

・日本古峰大神  やまとふるみねのおおかみ

 厄除・病気平ゆ等、祓いの神

 方位方災祓い・厄災難除・交通安全・海上安全・病気平癒、などお祓いの神様です。

・八意兼大神  やこころおもいかねのおおかみ

 文化を守る神・学問の神

 学術増進・入試合格・国家安泰・政治治安などを司る神様です。

宝徳様で行われる春の大祭(5月)の春季大祭は

この3柱の神々が、この地に降り立った日を祝う祝日です。

天狗ではなくて、鳥です。

そういえば余談ですが、以前私も鳥星人から3回通信を受けたことがあります。

一般的には下記のように天狗が多いと思うのですが、鳥と言うのは珍しいです。

鳥星人と言えば有名なのがインドネシアのガルーダやエジプトのホルス

古の地球において、地球外知的生命体が地球に飛来して、神として崇められていたというお話もあります。

世界各地にこのように鳥型の地球外知的生命体の痕跡があり、それぞれが、神として崇められていますので、宝徳様の神々も関係があるのかもしれません。

6歳の神様トキ君のお兄さんも

宇宙由来の魂で、地球神のとき君に協力する形で生まれて来たとのこと。

またレインボーチルドレンのそうた君もクラリオン星から地球に直接転生してきています。

宇宙由来の魂は結構多いです。

地球文明よりはるかに進んだ宇宙文明では、科学の力、知見にて、神々の世界をも研究し、

科学的な方法で、神々との親密な交流もなされているわけですから、地球外知的生命体がここ宝徳様においても神々とともに、私たち人間に強烈にアピールしているのも頷けます。

ですが、どうしても理解できないのが地球外知的生命体、そして神々が客よせパンダのようにこの日に火の鳥を、わざわざ物理的な肉眼で見えるようにして、多くの興味本位の人々を集めようとするのか?

その人たちは、当日珍しいものを見て「あ~、面白かった」と家路につき、何も人生を振り返ることなく、再び自分の我欲のために日々の暮らしを送る・・・

このような状態でも神々は良しとするのか?

ということです。

神々が、敢えてサーカスのように、人々の歓心を買うような現象を見せるのは、何故なのか?

自分の力を誇示するため?

もっと人に参拝して欲しい、お布施が欲しい?

今日と言う日を経験することで神々は人間に、どう変わって欲しいのか?

私たち目撃した人間はただ面白おかしく、不思議現象を経験しただけで終わりにしてもよいのか?

これって、もしかしたら、参拝に来られた人々の大変化のチャンスではないのか?

本当は神々がくれた最初の弥勒の世の入口への招待状ではないのか?

それはやはり、

・神さまは身近にいらっしゃる

・真摯な祈りは必ず通じる

・今日この日の気持ちを忘れずに、みんなで仲良く笑顔で助け合って生きて行きなさい

と言うことを神々は望んでいるのではないか?

この日に現れた一瞬の奇跡、それを見に全国から沢山の人々が押し寄せますが、

それも私たち心弱い人間のとっかかりとして、

神さまは「良し」としてくださっているのだと思います。

人間は弱いものですから。

ですが、その神さまの奇跡を見たら、それを心に留めおき、家に帰ってからも、その気持ちを時々思い出し、少しずつ、「かんながらの道」を歩んで下さいよ。

それが私たちの本当の幸せになる道ですよ。

神々はそう教えてくださっているのかもしれません。

当日は寒いです。温かな格好でお越しください。