2746「愛語」2022.7.3 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月29日の記事を紹介します。

「愛語」

見える世界、見えない世界を含め、その世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。

今日は、その心を美しくするために簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。
きっと、この愛語の精神でいる限り、宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、

私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、

ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。

<転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。

それならいくらでもあげることができるから」

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思っていたようです。

日本の神道には

「言霊(ことだま)」という概念があります。

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、

私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、相手に大きな影響を与える力(神)が

宿っていることを、忘れていたのかもしれません。

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。

木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。

説明によると、

「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、

すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。

私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、

「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの

にできたらと思います。

そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。

「言葉には『神』が宿っている」という考えは、

「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。

だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。

人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。

<転載終了>

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、良寛さんのように、

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

を口にしたいものですね。

そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、

必ず相手のハートの中の神さまも共鳴します。

その結果、お互いの間に目に見えない良き共鳴現象が起き、

美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。

また、自分の心の中のものが、口から出ます。

ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現

を見て、そして聞きたいものですね。

そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。

逆に、興味本位で(面白いからと)

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。

それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。

そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか?

そうすれば私たちの心のバケツは美しいもので満たされることでしょう。

美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、周りを幸せにすることでしょう。

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。

空海の言った「生きながら天国に住む」とはこのことです。

幸せは、神様がくれるものでも、何処かの誰かがくれるものでもありません。

自分の心が決めるものです