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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月25日「祓い清め」と2022年06月26日「最強の言葉」の2つの記事を紹介します。
「祓い清め」
今、各地の神社では「茅の輪くぐり」などの祓い清めの行事が行われていますが、
今日は、その「祓い清め」に関する記事です。
感謝の心を持つことこそ、生きている今、幸せになる方法です。
今の状況を何とかしたいのに・・・
もし、それがどういうことか分からず、何をすれば分からないようでしたら、
日本と言う国だけに存在する「ありがとう」という言葉、言霊を、何度も何度も
毎日毎日、朝から晩まで、寝ていても、心の中で結構ですので、唱えてみてください。
さて、今日の本題です。
私たちは神社に行くとよくお祓いやご祈祷をしていただきます。
この祓い、清めることについて日本の形成外科の草分け的存在である医師であり、かつ元春日大社宮司、故人 葉室頼昭さんが以下のように説明してくださっています。
<一部引用開始> 引用元
特に申し上げたいのが、日本人は、人間は自分で生きているのではなく、
すべて神さまの恵みと、祖先の恩によって生かされている
という感謝の生活を送ってきたということです。
これは、人間の生きる、素晴らしい真実の道です。
この世の中にはいろいろな、悩みや苦しみ、病気などがありますが、それらすべては、
生かされているという感謝の気持ちを忘れ、自分の力だけで生きているという
「我」の心が原因で現れてきます。
いろいろな悩みが現れるのは、神さまからいただいた、清浄で健康な素晴らしい姿を
覆って包んでしまう、罪(包身 つみ)や、私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を
枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が身についたためだということを、
昔の日本人は直感で知っていました。
ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、もとの健康で幸せな姿が現れるとして、古来より祓いということを行ってきたのです。
これは、世界に誇るべきことであると私は思います。
今の医学では病気は存在するものであり、それを撲滅するのが治療だと思われています。
しかし私は、この日本人の罪穢れを祓えば、もとの健康が現れる という考え方のほうが、真実の医学ではないかと思うのです。
その他にも、素晴らしい特質を挙げていくと、きりがありません。
日本人は古来より
素晴らしい真実の生活を続けてきた世界でも珍しい民族でありますから、
これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、
胸を張って生きてほしいと願っているのです。
<引用終了>
私たち人間は、生まれた時には神さまからいただいた、清浄で美しい心をしていました。
生まれる前に、誰もが、神さまから人生の目的や、人生で起こること全て
これらを承認していただいて、生まれることを許され、「行っておいで」と
祝福されて、地球に生まれてきたからです。
ですが、この世に生まれてきた後、制約の多いこの地球で、
いろいろな、しがらみ、悪意、陰謀の波にさらされ、
何時しか、自我(自分の意志や考え方を言い張って、わがまままこと)に翻弄され、
罪、氣枯れで、魂が覆われてしまいます。
神社などでの、お祓いや、祝詞は、 これらを祓い清め
魂の本来の輝きを取り戻すために行われます。
祓われるのは、悪しきことだけではありません。
良きことも、祓い清められ、「無」つまり、ニュートラルな状態にしてくれるのだそうです。
一旦、無の状態になることで、内なる神聖が輝きだし、本来の道(生まれてきた目的)に立ち返り物事が、スムーズに運ぶようになるのだそうです。
スムーズに運ぶ。。。とは、「安楽な道」だけではありません。
例えば自分の生まれてきた目的があえて、困難、苦難な状況に身を置くことで、
その中で、
・投げ出さず
・希望を捨てず
・不平、不満、愚痴、悪口、呪いの言葉を言わず
・感謝の心を忘れず
・笑顔を絶やさず
そのような魂を輝かせるための訓練の場を、自ら設定して、生まれてくる人もいるからです。
人それぞれ、
・生まれてきた目的も
・その達成するための道のりも
・必要な時間も
全て違います。
自分のことは、おぼろげにわかるかもしれませんが、ましては、他人のことは、分かりません。
分からないのに、他人の一面だけの姿を切り取って見て、勝手に解釈し自分のフィルター越しに見て批判、中傷していては、自分自身の心を曇らせ、闇に置き、
一気に運気をどん底にまで引き落としてしまいます。
であれば、人を批判・非難することなく、 そして自分の身に降りかかる運命も、抵抗せず、感謝をもって素直に受け入れ、周りの人に対しては、
・寛容な心
・優しい心
・あたたかな心
で接して行きたいものですね。
そのような、暖かく、美しい心こそ、自分の人生を、暖かく、美しいものにしてくれるからです。
「最強の言葉」
皆さん、この言葉ご存知ですか?
「断じて行えば、鬼神も之を避く」
断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。
と言うことだそうです。
私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、
感謝の心で生きている人のことだと思います。
「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、どんな人が、
・蔑み(さげすみ)、
・陥れ(おとしいれ)
・危害を加え
・足を引っ張る
ことができるでしょうか?
それでは、歴史研究家の 河合敦さんのエッセイをご紹介します。
<引用開始> 引用元
赴任先は知的障がいを持った生徒が通う養護学校で、僕が初めて受け持った子供たちとの出来事です。
その日、子供たち10人、担当の先生3人で、小田原に遠足に行きました。
お昼になり、昼食を食べるお店を探したのですが、どこも13人の団体は入れず、
ようやくあるお店お蕎麦屋さんに入ることができました。
2階の座敷に通され、女性の店員さんが注文を取りに来ました。
ところがメニューに写真がありません。
子供達は言葉が喋れなかったり、字が読めなかったりするので、僕が一つひとつ説明していたら、その店員さんは忙しかったんでしょうね、プイと下へ降りちゃったんです。
僕はその態度にすごく腹が立ちました。
ようやく注文が決まり、別の店員さんに頼みました。
待っている間、僕たちは畳の座敷にそのまま座らされていたので、
座布団はないかなと押し入れを開けたら、ありました。
僕はそれを出して配り始めました。
そしたら最初の店員さんが血相を変えてやってきて、「これは使わないでください!」と私からひったくり、別の場所から持ってきた座布団を投げつけるような乱暴さで生徒たちに配り始めたのです。
さすがに僕はブチ切れて、一言、言ってやろうと口を開きかけたその時、
座布団を受け取った勇太(仮名)が「おばさん、ありがとう」と言ったんです。
そしたらほかの子供たちもみんな「ありがとう」「ありがとう」と言い始め、
言葉が出ない子は手を合わせて頭を下げたのです。
その光景を見た時、僕はもうグッときてしまいました。
すると、その店員さんは人が変わったように急に優しくなったんです。
それまで忙しくて心に余裕がなかったんでしょうね。
13年後、勇太が亡くなったことを知らせるお母さんからの手紙が来ました。
その中に、葬式に参列された方のコラムが同封されていました。
その方は、13年前に僕が書いたエッセーのことに触れた後、こう綴っていました。
『・・・勇太が発した「ありがとう」の一言で、食堂の店員も河合先生も、
その場にいた皆が、とても和やかな気分になったという。感動した。
そうか、勇太はそんなこともしたのか、と。
そこに知的障がい者たちの素晴らしさを見た。
白木の棺の横に大書きしてあった「ありがとう」の意味もよくわかった。
息を引き取る直前、何か言いたそうだったので、
お母さんが「ありがとう、なの?」と聞いたら、勇太は頷いたそうだ。
勇太は心から「ありがとう」と言える若者だったのだ」
それを読んで僕は涙が止まりませんでした。
僕の書いたエッセーがずっと彼の家族の支えになっていたんです。
彼は30年という短い生涯を終えたわけですが、
「ありがとう」という言葉は、これからも彼の家族を支えていくと思います。
<引用終了>
どんなに敵意むき出しの人であろうと、自分に向けた「ありがとう」という言葉に
心を動かされない人はありません。
神さまは、人間の本能の中に
・ありがとうと言われると(感謝されると)、嬉しい
という仕組みを入れてくださっているからです。
感謝の心、「ありがとう」の言葉は、自分の心も安定させ、不安を払しょくしてくれます。
安心感をもたらしてくれます。
何故なら、その言霊の生み出す、波動空間に自分自身が包まれ、無意識の内に
神さまと
・仲良くなった
・融合した(一体化した)
・神さまに愛されている
・宇宙が味方してくれている
そう気付くからです。
皆様が、内なる神さまに気づき、お幸せになりますように。