2730「神さまを認める」2022.6.17 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月10日の記事を紹介します。

「神さまを認める」

今日のお話は、ご自分だけでなく、ご家族や、親しい人たちまで幸せにする方法です。

もし身近に、どうしても助けたい人が居るとして、でも私たち周りの人は、

その人の運命に介入することができません。

その方の生まれる前に決めてきた目的や手段に介入することができません。

ですが、心配で心配で仕方ない身近な人とは、

例えば

・病気の子供、家族

・早くに亡くなった子供

・自然死ではない亡くなり方をした身近な人

この方々との関わりに置いて、私たち自身が胸を痛めているのであれば、

私たちが、押しつぶされそうに胸を痛めること自体も、

その方の生まれて来た目的達成の手段(必要なこと)であったはずです。

では、その目的とは何であったのでしょうか?

・私たちが残りの人生を嘆き悲しむため?

・周りや世間、自分の運命を呪うため?

・いつまでも、めそめそ、下を向き、その場にとどまり続けるため?

そうではないはずです。

そんな目的のために、その方は、貴重な、今回の人生を使いたいと思うわけがないからです。

私たちが、いつまでも、何時までも、その状態にとどまり続ければ、

苦しい役割を引き受けて生まれて来た、その方の貴重な人生が無駄になってしまいます。

神々からも承諾を得てきた目的や手段は、必ず、触れ合う、影響し合う周りの方々の

感情を大きく揺さぶり、心を揺り動かし、逆境や苦難の中で、神々の光を見つけ、

前向きに方向転換して欲しいからではないでしょうか?

私たちが、その方との触れ合いを通じ、苦難の中でも、心の中に神々を見つけた時、

その方の、生まれて来た目的は達成され、 苦しい人生を選んだことも、報われるのではないでしょうか?

どんな時も、変われるのは、私たち自身です。

私たちが変わることで、その方を含め、関わり合う全ての人たちの

大きな目的が達成されます。

それでは、私たちがどのように変わったら良いのか?

始めます。

今日は「神さまを認めること」というテーマで、

元春日大社の宮司であり、かつ医学博士であった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

みとめる。この言葉を漢字で書くと「認める」という字になりますが、

これでは意味がわかりません。

「みとめる」とは、本来は「目を留める」ことであって、

じっと見つめるということではないかと思います。

この頃はすべてがスピード化し、無限の情報が瞬時に入ってくるというめまぐるしい世の中となり、何か一つのことをじっと見つめたり、

みとめたりということが、だんだんとできなくなってきています。

その上、すべて理屈・我欲中心の世の中になってしまったため、

世の中の本当の姿、神様のお姿というものが、みとめられなくなってしまいました。

みとめるということは、どうすればできるかと言いますと、

相手と同じものを自分が持っていないと、みとめることができません。

例えば、世界的な名画を見ても、

こちらに絵の知識や素養がなければ絵の良さが分りません。

ですから、神様をみとめるということは、

こちらに神様がなければ神様をみとめるということはできません。

そのため、昔から祖先達は常に、お祓いということを行なってきました。

神様が素晴らしい姿に人間をお創りになったのですが、人間は知識を得たために、

理屈でモノを考えるようになり、そのため、本来の姿が見えなくなりました。

これを罪・穢といいます。

罪とは悪いことをしたという意味ではなく、本来の姿を包み隠してしまうこと。

また穢とは汚いという意味ではなく、

我々を生かしてくださる神様の気を枯らしてしまうことで、

これらはすべて理屈・我欲であります。

ですから、この罪・穢を消してしまえば

本来の神様の姿が現れて神様をみとめることができるのです。

今の日本人は、すべて理屈でモノを考えるようになりましたので、

テレビや新聞を始め毎日毎日悪いニュースばかりを報道しています。

つまり悪いことを認めているのですから、世の中はますます悪くなるのは当たり前です。

そうではなく、たとえどんな悪い状態が現れても、

それを幸せに変えていくということが一番大切なことです。

例えば病気でも、皆悪いことと考えておりますが、

自分の考え方により、病気も幸せに変わっていくことはいくらでもあります。

昔からよく言われている一病息災ということは、一つの病気を持ったために、

返ってそれが幸せとなり、長生きをしていく人はいくらでもいます。

昔から言霊といって、言葉には「たましい」があると言われておりますが、これも本当のことで、

・良い言葉を言えば幸せが、

・悪い言葉を言えば不幸がやってきます。

ですから、いくら時代が変わり世の中が変わろうとも、

そしてどんな厳しいことが現れてこようとも、自分の身体の中に神様をみとめて、

生かされていることに感謝をするということが一番大切なのです。

■20ccのミルク

赤ちゃんの手術の翌日、赤ちゃんが20ccミルクを飲んだとする。

経験の浅い看護師は、「20ccしかミルクを飲みません。どうしましょう」と言う。

お母さんが不安に思う。すると赤ちゃんの容体が悪くなる。

逆に、ベテランの看護師は、「20ccも飲んでくれました。よかったですね」と言う。

それを聞いてお母さんが安心する。すると赤ちゃんが元気になってくる。

同じ20ccでも、経験の浅い看護師は、一日に何cc飲むかというところから考える。

そうすると、「20ccしか・・」という言葉になる。

ところが、ベテランの看護師になると、20cc飲んだということは、回復力が出てきているということで、「20ccも・・」という言葉になる。

同じ20ccでも見方によって、まるで違ってしまうということですね。

<引用終了>

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのかもしれません。

・神さまや祖先に感謝する。

・親を敬い大切にする。

・自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する。

・自然の素晴らしさに感動する。

「徳」という神様に最も近い性質は、

神さまが人間にだけ与えられたものかもしれません。

私たち人間が生きている短い数十年間、その間に「徳」を積んで行くということが、

神さまと約束してきたことかもしれません。

人生のいろいろな経験でそれを磨くことによって、私たち人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である神さま自身に近づいていきます。

いかにして徳を磨いて、この世界に現すか?

それが、神に最も近いものとして作られた人間の定めかもしれません。

そして、私たちが日々積み重ねた「徳」は、 自分たちだけでなく、私たちの子や孫、

さらには、遥かにさかのぼって、何代もの祖先さえも幸せにするといわれています。