致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 26 「どうか主人の遺志を継いでください」

神崎 紫峰 信楽焼陶工

 翌日は、取引先の五十万円の入金を当て込んで、私は当日付けで手形を切っていました。ところが「送金は来月まで待ってほしい」との断りの電話がかかってきたのです。午後三時までに銀行に入金しなければ不渡りです。あちこち駆けまわったものの、これ以上借金を頼めるところがありません。その時、なぜ松田社長のことが浮かんだのか?昨日会ったばかりで、それも無理なお願いを聞いていただいたのに・・・・と躊躇しながらも、結局会社を訪ねていました。

話を聞いた松田社長は、奥さんに「あの袋を応接室まで持ってきて」と言われました。袋の中には五十万円が入っていました。
 松田社長が笑って言われるには「うちはすべて銀行振り込みなのに、今朝現金で五十万円を持参して支払いに来た人がいる。滅多にないことだから、この五十万円は誰かが必要なんだろうと思って、かあちゃんに今日一日だけ袋に入れておくようにと言っといたんだ。さあ、早く銀行に行きなさい」。またも嬉し泣きしながら銀行に急ぎました。
 だが、社長は資金に余裕があったわけではなかったんです。すっと後になって、会長をしておられた松田社長のお父さんから、あの五十万円を私が約束の日に返済しなかったら、会社は不渡りを出していたと聞きました。五十万円には会社の存亡がかかっていたのです。なぜそれほどまでに肩入れをしてくださるのか、お父さんに尋ねました。「きっと自分の苦労した過去と二重写しになっているのでしょう」ということでした。後日、松田社長の体験を聞いたことがあります。

 社長の会社の製品が時代遅れになって倒産しそうな状態に追い込まれた時、取引先のK社長が新製品の開発を進め、図面まで提供してくれました。ところが、松田さんが試作品を何度持っていても突っ返される。「今度だめなら会社を解散しよう」と思い詰めて新製品を持参するとK社長は「立派なものができましたね」と喜んでくれ、その場で設備投資のお金まで与えられた。だがK社長は昭和四十一年、旅客機の墜落事故で亡くなってしまうのです。葬儀の後、松田さんは社長夫人に導かれて納品した新製品が山のように積まれている大きな倉庫に行きました。倉庫には松田さんが納品した新製品が山のように眠っていました。奥さんはこう言われました。「いままで納品されたのは全部残しています。「松田君の信用を落としてはいかん。絶対に売るな」。これが主人の言葉でした。主人はいつも言っていたんです。「あの人は必ず何かを残す、立派なことをする。だからこれくらいの投資は安いもんや」って」。

 奥さんは最後にこう言われたそうです。「どうか主人の遺志を継いでください。相手の立場に立ってものを考えてあげてくださいね。それは自分を捨てることです。たとえ何が起ろうと、一所懸命、誠実に生きてさえいけば、道は必ず開けます。これを、うちの人の遺言やと思って、うちの人の分まで生きてください」。